夜空に浮かぶ満月が淡い光で世界を照らしている。月の渓谷は太陽の光が射さないにも関わらず、寒いとは感じない不可思議な空間だった。このような場所で休息を挟むのは、夜通し火を焚く手間と煙を上げることで生じるリスクを無くせるのでありがたい。銀髪の青年は火を気にすることなく多数の武器の具合を確かめている。汚れがあれば拭き取るし、刃こぼれを見つけたなら研ぐ。そうして周囲を警戒しつつ手を進め夜を過ごしていたが、どうにも集中を欠いてしまう。同じことが何度も頭に浮かんで消える。手を止めて思考に没頭するべきなのだろうか。フリオニールは考えながら体を動かすのは不得手だが、それでも己と仲間の命を守るためのものだ。手入れは怠ってはならない。浮かび上がる戦士の面影を無視することに決め、砥石を手に持った。
それから暫く、考えないようにしよう、と思うほどフリオニールの頭に別れた仲間のことばかりが浮かぶ。
この世界で出会った戦士の一人で、行動を共にしていたクラウドは「戦う理由」を求めていた。どんな状況にあっても己を見失わない確固たる意思を。それはティーダにとっての父親との決着、自分にとってののばら咲く世界の夢のような――何があっても揺らがない、自分の支柱となるもの。義士が目覚めたときから傍らにあった一輪の花は、見覚えなんて無いはずなのに、胸にわずかな痛みを残すと同時に、誰か分からない後ろ姿が一面の花畑に佇む光景を想い起こさせる。最近になってその後ろ姿にこの世界の仲間が加わった。
きっと、大切なものなのだろう。
いつか光の戦士が言った通り、のばらはフリオニールの心の一番奥に根を張った。誰もが傷つくことなく、咲いた花を見て笑顔になれる世界――子供みたいな理想を聞いて、クラウドはどう思ったのだろう。
■■■
フリオニールは当初、クラウドに対し好印象を持っていなかった。セシルは文明レベルが近く曖昧に記憶している元の世界のことを話しやすかった。逆にフリオニールの想像もつかない世界から召喚されたというティーダは年齢が近かったし、明るく場を盛り上げることに長けていた。彼の困りごとがある度にフリオニールが頼られたからか、すぐに打ち解けて色々と話すようになった。
クラウドとは、どうだったか。すぐになついたらしいティーダと年長者同士で話す機会の多かった彼とセシルとは対照的に、フリオニールはあまりクラウドと接しなかった。
殆ど動かさない表情になぐ海のような平然とした瞳の色彩。お喋りなティーダに付き合っているときは顔を向けて相槌も打つし話を引き出すように何か聞いたりしているが、フリオニールは彼みたいに次々と話題を出せないし、かといってセシルが持ち出すような戦法や行軍予定のような難しい話には加われない。端的にいうと、話しかけにくかったのだ。…………もしかすると、冷静な彼と直情的な自分とでは反りが合わないと決めつけていたのかもしれない。その印象を改めるまで少しばかり時間がかかってしまったが。
その日は森の中を探索中だった。たまたま開けた地帯があり、日の入りも近かったことで、言わずとも四人は夜営の準備に取り掛かった。分担は決まっていてセシルとクラウドがテントを張り、ティーダは薪や木の実を拾い集め、フリオニールは水のある場所を探す。水を汲んで戻ってくると次は食べられる食糧の選別で、こういう雑事をしている最中は仲間――もちろんクラウドとも普通に会話をすることができた。
それが休憩中や夜営の最中だと、セシルとティーダがクラウドと話している最中に少し距離を空けて、そのうち薪拾いだ水汲みだと理由をつけてその場を離れる。今日の言い訳は見回りだ。きっと距離を置いていることに気付かれているだろう。四人で居ることが嫌なわけではないし、交流の場を作ってくれるのはありがたい。ただ、二人ほど社交的ではないし、何を話したらいいか分からない。並べ立てた理由を盾に、クラウドと話す機会を避け続けた。
見回り中は何もなかった。そろそろ戻ろう、という時に聞こえた遠くで結晶同士が擦れる音。カオスの放った模倣の戦士は、こちらの事情などお構いなしに現れる。強さはピンからキリまで様々だが、疲れを知らない体と戦士の能力をそのままトレースしたものが量産されるため、闘争が長引くほどこちらが不利になるとクリスタル探求の折、誰かが触れていたのを思い出す。
……倒せるだろうか。距離が遠く、正確な数は分からない。報告に戻るか?しかし下手に動いて気付かれると増援を呼ばれ数を増やされる可能性がある。俺一人で相手になれば大勢のイミテーションとの戦闘を避けられる。この場合、一体も逃がしてはならない。
フリオニールは即座に判断を下し、気配を消して走った。
フリオニールが離席してしばらく、話の流れの中心は彼ともう一人のことになった。こうなるのはほとんど必然の流れだ。四人行動でも二人一組でも、二人はあまり話さないし、フリオニールが避けているという事実をクラウドは気にするから、一定の距離を保って踏み込まない。二人の関係を見かねたティーダがクラウドを追求したことで、『フリオとクラウド仲良し大作戦』の会議が開かれることになった。題目はどうあれ、セシルも一国の将軍だった身としては仲間同士の不和は見過ごせるものではない。
「クラウドはフリオニールのことどう思ってるッスか?」
「……………………危なっかしい」
「長考の末に出てくる言葉がそれかい」
「ティーダもセシルも、危ないときとか手伝って欲しいときって、そう言うだろ。戦闘中もこういう時でも――」
フリオニールは、そういうことを俺に言わない。クラウドの言葉はそのように続けられた。枯れ枝が火に投げられたのに、意味はないのだろう。手持ちぶさただったり自分たちの声以外の音が欲しかったり、そうしないと、訪れる重たい沈黙をやり過ごせそうにない。
「セシルも、フリオニールに頼られたりしない?オレはたぶん、あいつから見て頼りないだろうけどさ、セシルならそんなことも無いだろ?」
「たまに相談はされるかな。色んな事を一人で対処できるようだけど、戦略とか作戦とか、そういうことは詳しくないようだから、聞かれたことは教えてる」
そうなのか、と目をみはるクラウドに、セシルはため息を吐いた。まったく、どうしてこの二人だけ上手く噛み合わないのだろうか。フリオニールが彼を避けていることが原因とはいえ、クラウド自身が彼を心配していることを口に出してやれば態度が軟化するかもしれないのに。パチパチと木の枝がはぜる音がいやに大きい。
「それにしても、フリオニール遅くないッスか?」
「そうだな……俺が探しに行く。二人は待機しててくれ」
クラウドが立ち上がろうとしたのを、セシルが制止した。
「クラウド、一つ頼まれてくれないか?」
不味いことになった。そう考えられるのは冷静である証拠か、活路を見出だすための闘争心か、果たして。
すばしっこい少年と盗賊は真っ先に仕留める。増援を呼ぶとしたらこの二体だろうという読みが当たった。一撃が重いが動きが動きの鈍い猛者と接近戦に持ち込もうとする兵士は最初から伝令役の可能性を捨てていた。様子を窺うように魔力を高める少女と魔女も同様で、この判断は正しい。猛攻をかわし、猛者の得物が地面を大きく抉った隙に矢を射る。土埃の向こうでパラパラと肉体が崩れていた。これで、こいつはもう戦えない。
虚構の兵士が距離を詰めてくる。辺りの景色をそのまま映す全身は不気味だった。敵の体に映る女形イミテーションが動く気配は無い。フリオニールは兵士に向かって斧を投げつける。回避、読んでいる。
「かかったな!」
素早く炎を纏う矢を精製し、放つ。体が宙に浮いた。すかさず青白い人形に近付き、剣を抜く。地面に叩き付けた体は、しばらく動けないはずだ。着地したフリオニールの足下に魔方陣が浮かび上がった。アポカリプス。射程内に入った体は呆気なく打ち上がり、続けざまに少女のトルネドが襲う。酸素を失うほどの暴風。その最中にも放たれる魔女の刃。一つ一つの威力が小さいものの、蓄積すると厄介だ。
死角から斧の形をした結晶が飛ばされる。回避が間に合わず、胸に直撃した。激痛。酸欠状態から抜け出せず、息をするだけでも視界は霞んでいくし汗が垂れていく。負けてたまるか……! フリオニールは体勢を低くし、左手にナイフを握る。右手はその後方で、砂を握り込んだ。
魔女と少女の気配は感知できない。走るのは大剣を掲げたイミテーション。得物が振り下ろされる前に、相手を怯ませる。
――やってみせる。感覚を研ぎ澄ませ、敵の間合いに入る直前を狙う。まだ遠い。……まだ。…………もうすぐ、入る。
「フリオニール!」
鋭敏になった聴覚が拾った肉声は、ほんの僅かに彼の作る勢いを弱らせた。
無事か? と聞いてくる仲間に、フリオニールは何も言えなかった。一人でどうにかなるという思い込みと驕りが招いたことだ。
乱入者は敵の注意を引き付け、攻撃の暇を与えずに叩き潰した。それだけではなく、撤退する直前だった後衛二体にも仕掛け、見事勝利した。……フリオニールは構えを解かずにただ見ていただけだった。
「フリオニール」
再度、声がかかる。いよいよ、答えないわけにいかなくなった。
「……ああ、平気だ」
「……全然、そうは見えないけどな」
クラウドは力が入ったままのフリオニールの全身を見た。暗がりで詳しいことまで分からないが、所々に傷ができているし、鎧は一部形状が変わってしまっている。そのせいか、先程から息が弾んだままだ。
クラウドはフリオニールに「脱がせるからな。力抜いてろ」と確認だけ取り、マントを脱がせ、鎧の留め具を外していく。途中、うめきが聞こえ、彼の怪我を思い手を早めた。
「クラウド、すまない……」
「このくらい気にするな」
クラウドは彼の汗を拭いながら言った。
「セシルからポーションを預かってきたんだ。さっさと治してしまおう」
「要らない」
「フリオニール」
「大丈夫だよ、俺、白魔法使えるからさ」
拒否の声が、必要以上に大きく発せられたように聞こえた。確かにクラウドは(今はここにいないセシル、ティーダも)、彼が白魔法にも通じていることを知っているし、何度か世話になったこともある。実力を疑おうというわけではない。ただ、心配だと思った。幸い彼は落ち着いて魔力を練り、周囲に青白い光を放った。
フリオニールはもう動ける、と主張したが、クラウドはまだ休んでおけ、と譲らない。言いたいことが、沢山あった。
「お前は冷静さを失うまではちゃんと戦えてるが、一度でも血が上ると経験に頼りがちだ。闘志を持つことと、怒りに任せることは、全然違う。相手の戦力と変化する戦場の状況を見極めろ。毎回俺かセシルが側について出来るとは限らないんだ」
クラウドは土で汚れた右手を見た。それが目潰しの通用しないイミテーションを相手に冷静さを欠いていた何よりの証拠だった。
「敵を全て倒そうだなんて思うな。奴らは俺たちと違う。疲労も数の制限もないのを相手したってキリがない。それに何かあれば俺がサポートするから、もっと頼ってくれ」
フリオニールは頷いた。これで安心できるとはいえない。彼はこれからも無茶をするかもしれないし、頼ってくれる確証は一つもなかった。
「それと、これはお前に渡しておく」
フリオニールに手渡したのは、届け物だったポーション。持ち主に渡らなければ意味がない。
「怪我はポーションで治したってセシルに言えば誤魔化せるだろ。これは使うべきだと思ったときまで、お守りだと思って取っておけ」
■■■
クラウドに助けられてからは変わらず、クリスタル探求の旅が続いた。彼は常に冷静に状況を見極め、必要があれば手助けを惜しまない。戦闘になると相当な重量のバスターソードを手に先陣を切り、時には魔法や援護も行う器用さと、戦況を即座に判断する視野の広さを合わせ持つ、頼りになる兵士と化す。セシルやティーダとは少し違う優しさと強さを持つ仲間。それがフリオニールにとってのクラウドだった。
助けられて以来揺らがなかった印象が変化したのは、彼が戦いに対する迷いを打ち明けたときだ。激しい戦いの日々の支えになるものを彼はなくしてしまったという。手合わせの直後に見たいつもの彼よりもずっと幼い、不安を宿した顔を何度も思い出してしまう。
――いけない。余計にクラウドを意識している。ため息をつくのと同時に落とした視線に人の影がさした。
「フリオニール、クラウドのことが心配なんだね」
漆黒の鎧に身を包んだ騎士が、義士の正面に腰を下ろす。顔全体を覆う兜によって表情は見えないが、微笑を浮かべているのだろう。
「セシル。……交代の時間はまだ先のはずだ」
「早めに目が覚めてしまったから、少し話をしたいと思って。気掛かりがあれば、早めになくした方がいいだろう?」
「……そうだな、クラウド、一人きりで行ってしまったから、危険な目にあってないといいけど」
「それもだけど、もっと気にしていることがあるんじゃない?」
どうだい、とセシルに温和な口調で首をかしげられるのが苦手だと、フリオニールは最近になって知ったばかりだ。穏やかにこちらが口を開くまで待っていてくれるから話しやすいのだろうか、セシルに対しては聞かれたことに素直に答えてしまう。
「ああ、クラウドは、俺と戦った後で、何のために戦うのか迷ったままだった。俺では力になれなかったんだと思って……」
「それは、君が気にすることじゃないよ。戦う理由にしろ夢にしろ、最後は彼自身の納得のいく答を見つけないといけないんだ。…………大丈夫だよ。クラウドなら見つけられるって信じて」
その言葉を聞いたとたんにフリオニール残っていた不安がたちどころに全部消え去ったわけではない。しかし、徐々にクラウドを信じて待とう、という気持ちに少しずつ昇華されていく。礼を述べると気にしないで、に続き「僕としてはフリオニールの方が気になるけどね」と言われてもフリオニールには心当たりがなく、首をかしげた。
「フリオニール、手合わせの時に武器を浮かせていたよね?僕とも数回戦ってるはずだけどもそういう技は一度も見たことがないから気になったんだ」
「――見てたのか?」
「ごめん、戻ってくるのが遅かったから様子を見に。ほとんど終わり頃だったけれど」
フリオニールが気恥ずかしそうに頬を掻く。終わり頃、というとクラウドに押し負けていたところだろう。クラウドに意地を見せようと躍起になっていた瞬間を見ていたのだろう。
「実はな、セシル。あのときの事をよく覚えていなくて……勝ちたくて必死だったけど、自分でも何をしたのか、と聞かれてしまうと何も答えられない」
そうか、と義士の話に騎士が相槌を打つ。彼は仲間の中でも黒魔法の腕前が下から数えた方が早い位置にいると騎士は考えている。だからこそ宙に浮かせた武器を自在に操るという離れ業はできないだろうと思っていた。彼の武器がまるで意思を持っているかのように動いたことは、少し遠いところで様子を窺っていたセシルでさえ意表をつかれた。
「君にわからないとなると、焦らずに鍛練を積んでいくしかないね」
「ああ、そうする。セシルも協力してくれるか?」
「勿論。でも、一人でやろうとしたら駄目だよ。いくら何でも武器を全て相手に向けて丸腰になるなんて危険すぎるから」
長話になってしまってごめん、と小さく謝る騎士に片手を上げて応じる。「見張り、よろしくな」と伝えてもう一人の眠っている天幕のとばりを捲る。
冷静でいること、仲間を頼ること。二人で交わした小さな約束だった。
頼っていたクラウドは行ってしまった。これからは、俺が彼のようにセシルとティーダの力になれるように、頼ってもらえるようになれるだろうか。
俺が助けられている倍以上、彼らの助けになろう。クラウドに再会したらその時は、彼に胸を張れる自分でいたい。
義士の決意を揺るがす事件が起こったのは、数日後の事だった。
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