戦争の終結が盛んに報道されているが、情報政策の一環か、レイの求める前線の情報は入らない。ことの顛末をもしかしたら聞いているギルバートは、評議会の末席に名を連ねているから、会えるようになるまで、どれだけ待つかわからない。ラウは、無事だろうか。
レイは寮の自室で、同室のシンにだけは感情をさらした。シンから見て、レイはアカデミーの喧騒から距離を置いていた。講義中も、部屋でも、淡々とするべきことをこなし、いつもと変わらない習慣を続けていた。だからこそ、一つ加えられたそれに、シンはすぐに気付く。
毎日の夕食後に三十分ほど、険しい顔をしてノートパソコンの画面を見ては、聞こえてくるため息。何をしているか、手に取るようにわかったのは、生徒のほとんどがそうしていることを知っているからだ。だから、レイに一度だけ聞いた。家族も従軍していたのかと。レイはあまり家族のことを話したがらないから(シンへの気遣いもあってだろうが)、兄の名前を探してるんだ、とだけ告げて、それっきりだった。
「レイ、今日はどうだった?」
「見つからない」
「……そっか。無事だといいな、レイの兄さん」
レイは頷いて、そこから少し時間をかけていつもの調子を取り戻していく。
少しずつヤキン・ドゥーエで何があったか、情報が開示される度に、生徒たちも、徐々に静寂を取り戻していった。安堵するのも悲嘆するのも、その感情の渦に飲まれていた全員が一緒に感じていた。家族をなくしてプラントに来たシンには疎外感のような、寂しさもあったが、一喜一憂を一緒に繰り返した。
結局レイの家族の情報は何もわからないまま、長期休暇が訪れ、レイはシンに見送られて、久しぶりに家に戻った。
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かつてギルバートとレイ、そして数人の使用人が過ごしていた邸宅は、かつての面影を残しながらも、冷たくがらんとしている。
レイがアカデミーに進学することを決めた頃、ギルバートへの評議会招致の話があった。いい機会だと、ギルバートは使用人たちを解雇して家族のもとへ送り出し、自身は用意された公宅へ。レイも早くにディセンベルに渡った。そのため、半年ほどは無人の空間だった。
もうすぐギルに会えると思うと、緊張するのはどうしてだろう。
なにもしない時間がもどかしく、落ち着かない。ギルの戻りは夕方頃だけど、部屋は業者の手が入っていてすっかりきれいだし、夕食もすでにケータリングを手配済みだ。レイはリビングのソファに沈んでいく。
家族二人が、向かい合ってチェスを眺めているのが好きだった。近づいてくる足音が楽しみだった。引き取られた日が近くなったら、毎年ケーキを焼いてもらった。三人がけの席の真ん中、ここで思い出すのは暖かい記憶ばかりだ。
かつかつ、と廊下から音がする。この足音が誰のものか、レイにはすぐにわかった。
「やあ、レイ。久しぶりだね」
ああ、ギルだ。
レイは腕を広げる彼にぎゅっと抱きついた。優しく髪を撫でてくれる。背中の手に力を込めてくれる。世界に二人きりになれるこの時間が、レイは何よりも嬉しくてたまらない。
「ギル、おひさしぶりです」
二人は食事のあと、数ヶ月ぶりにギルバートの私室で家族の時間を過ごした。最近の出来事や友人関係について、レイは聞かれたことに答えていく。文語のやり取りでは堅苦しいのにこうした会話では砕けた口調になるのも変わらない。
「シンとはどうだい?」
「上手くやれてるはずです。たぶん、私の素性はばれてないから」
「そうか。なるべく気にかけておくようにね」
「……うん。ねえ、ギルは、上手くいってるの?」
「どうかな。プラント全体の建て直しに、移民の対応に……、そういった諸々が良い判断だったかを判断するのはしばらく先になるからね」
ラウは、後々どのように言われるだろうね。
ギルバートが突然出した名前に、レイは目を見開いた。ずっと求めて探していた、たいせつなひと。
「ギル、ラウがどこにいるか知ってるの」
終戦からずっと、連絡は一つもなかった。戦闘の記録も、見ることができないから、生きているのか、だれかに討たれたのかさえわからない。ねえ、ギル。ラウは、ラウは。
「彼は、もういないんだ」
「だが、君も『ラウ』だ。それが君のーー」
ーー運命?
ギルの言うことがわからない。手の中にあるのは、ちいさなケース。そして薄いメモリーカード。
ギル。わたしは、レイだよ? ラウじゃないよ。たしかに、ラウはわたしの目標で、理想だけれど、あの人のようにはきっとなれないよ。
薄暗い寝室で、レイは渡された記録を眺めていた。
戦時中にラウがパトリック・ザラ、ブルーコスモスとの裏で二人を操っていたという推論。捕虜の少女を利用した機密漏洩。最期は青い翼のMSーーフリーダムに乗っていた少年に、ラウは討たれたらしい。その少年は、ラウの命を踏み台にして産み出された、第二のジョージ・グレン計画の成功例……キラ・ヤマト。
ラウは、理想の遺伝子を持つたった一人を産み出すために、ある男が永遠の命を得るために、作り出された存在だった。ラウは、参照したデータがはじめから老いていたせいで、短命と、老化の早さが運命付けられていた。ギルの作った薬で成長……あるいは劣化を押さえつけて、無理やり動かしている身体。多少遺伝子をいじられているとはいえ、ラウと同質の存在であるレイもまた、同じ運命を辿る。
つまり、わたしの未来は、ラウと同一……?
私を救ってくれる日のずっとずっと前に、ラウのほろびは決められていた。ラウはその命を、まるごと呪った。その業火を世界そのものに向けたラウ。世界を殺そうとしたラウ。私にも、そうあれと、ギルは望んでいるの?
違う、ギルの望みは、わたしの意味は、遺伝子の正しさの証明。はじめから決まった道を歩めば、踏み外すことも、迷うこともない。ラウは、自ら道を閉ざしてしまったから、わたしが変わりに、成し遂げなくては。
……なにを?
彼らがいない世界であれば産み出されることも苦しむことも知らずにいられたこと? かつてギルが否定された幻想を終わらせること? 人類の変革の可能性を見届けること? ラウが求めたことを、わたしがラウになって叶えること?
はじめから、レイは必要とされていなかった……?
「ただいま……あ、お帰り。帰ってたんだ」
シンが日課のランニングをしている最中に、レイは帰ってきていたらしい。シンが部屋を出てからは三十分ほどだろうか。入れ違いだったらしい。
「……シン」
掠れた声で呼ばれて、シンは振り替える。いつも背筋をぴんと伸ばしたレイじゃない、ベッドの縁に座って項垂れる姿。何かがあったことは明白だった。
シンはなにも言わずに、レイの隣に座った。
「ラウが……家族が、いなくなったって」
絞りだしたような悲痛な声。レイの言葉はそこで途切れ、シンはなにもできないまま、沈黙を共有する。
それだけしかできず、それだけでよかった。