「私は、あなたと共に居られるなら、どうなったって構わない」

 遺伝子検査の結果表に向けていた視線をまっすぐ恋人に移して、タリアは告げた。じぶんの子供が欲しい、遺伝子の相性がこれほど悪くなければ、という思いが燻っていたものの、こんなにも愛し、愛される相手はきっと彼しかいない……、そう思えたから。
 長髪の男が嬉しいよ、と彼女を抱き締めた。まさしく愛し合うもの同士が作り出した甘くあたたかい空間を、少し高いところから冷めた気持ちで俯瞰するのも、一人の長髪の男だった。

 これは夢である、男はそう理解しているからこそ、冷静なままでいられた。……現実では、子供がほしいと言った彼女とは別れて、疎遠とまでは言えない関係となった。引き止めたら、違う未来を探せただろうか。
 ギルバートは幼くして両親とは死別したものの二人の残した様々な遺産があり、使用人と生活を送っていた。対してタリアは、両親ともに健在で、彼らに大切に育てられた一人娘ーー加えて、当時すでに戦艦運営の素質を認められたエリートだった。お互いに両親に期待されていたが、自らの可能性を信じるギルバートと、認めてくれる存在のいるタリアとでは、描く将来像や家族という価値や理想を共有できなかったのだろう。

 プラントの内情を考慮すると、婚姻統制に従わないカップルへの風当たりの強さというものも、タリアが別れようと言い出した理由にあるのかもしれない。婚姻統制に従わずに結ばれたカップルは、政府からの援助を受けられなくなる。婚姻統制は、妊娠の可能性が高い相性となる遺伝子の持ち主が通常十人ほどリストアップされる制度をいう。それを参考に見合いをし結ばれるケースもあれば、神の定めた遺伝子という運命を嫌い、自由恋愛を経て結婚する男女もいる。相性が優とまではいかない、評価で言うところの『可』レベルでも子供を授かるまでは「国の制度に従わなかった者たち」とされ、授かったとたんに祝福の声を向けられる。
 ギルバートは、婚姻統制のリストにタリア・グラディスの名がないことを知っていたものの、自身の遺伝子が定める最良に従い生きてきたので、愛した女性との相性は悪くないはずだと、通知が届くまで信じきっていた。ゼロに近い可視化された未来を目にするその瞬間まで。





 だから、これはあるはずのない未来であるとしっかりと理解しているというのに、この夢のような世界のこれからを願わずにはいられなかった。
「レイ、紹介したい人がいるんだ。会ってくれるかい?」
 今日の夢は、幼いレイとタリアの対面の約束というシチュエーションだった。夢で何度もなぞった絵空事には、二人がこれまで築いたすべてをかなぐり捨てオーブへと駆け落ちする未来が描かれている。そこには当然レイも一緒だ。レイはわがままの一つも言わずに私の決定に従った。
 現実では、タリアとの交際中にレイを引き取っていたが、顔を会わせたことはない。
「タリアに君を紹介したいんだ」
 何度も繰り返したやりとりが見える。このあとレイは首をかしげて「ギルの大切な人にですか」と尋ねるのだ。私が肯定すると、会うのが楽しみだ、と模範回答を読み上げるようにして会話が終わる。
 こういった世界でレイの口から出る言葉は、いつも肯定か同意だ。ラウと離れ離れになること――会えない生活には慣れているだろうが、今までとは距離がまるで違う――、住み慣れた土地からの移住、レイにとっては知らない人物であるタリアとの生活を余儀なくされること……レイは良くできた子どもだから、少し考えるだけでもこの程度の想定は出来るだろうに、そうしない。聞き分けのいい、従順で素直な顔をした子どもが、彼と同じ色の目で笑っている。レイだけは、変わらない。




 必要最低限の荷物を手にした逃避行は、夢であるがゆえにトントン拍子で進行する。交通の便が良い場所に建ったマンションに入居できたし、私は遺伝子研究の仕事を得た。タリアも早々に勤め先が決まったし、学校に通い初めたレイは、毎日のように学校生活で起こったことを報告するので、私たちもそれを楽しみにするようになった。実際に移住を決意するとなると数年間プラントの箱庭育ちだったレイの体調面や人間関係は懸案事項であっただろうから、『夢の世界だから』という都合ですべてが解決するのはありがたい。レイの身体は健康そのものだし、母親役であるタリアに対してもわがままを言わない子どもとして、夢の中を生きている。
 相も変わらず空中から全体を眺めている私だけが取り残されていく。


 季節は秋の終わりだった。血の繋がらない家族に向けられる支線、ナチュラルとコーディネイターという、違う種だからこそのすれ違いや軋轢に悩まされているものの、三人家族の日々は穏やかに過ぎていく。
 タリアは地球に来て手芸という新たな趣味を見つけた。クリスマスが近いでしょう。レイになにか、手作りのものを贈れないかしら。私に微笑む彼女は、きっと母親の顔をしていた。
 レイはというと、地球に来てはじめてクリスマスを体験するから(プラントにいた頃はこんなに豪華じゃなかった)、部屋に届いたツリーの飾り付けも、いい子に過ごすことも、張り切ってやっている。
「ねえギル、サンタさんのとは別にね、おねがいがあるの」
 いつの間にか、私は夢の中の登場人物と同化したらしい。目の前には海と同じ色の瞳があった。
「あのね、弟か妹がほしい。タリアがね、そのお願いはギルにしなさいって……」
 


 いつしか、夢はさめていた。
 現実に打ち上げられた私は、側で眠る彼女の柔肌を見下ろした。夢想の中でさえ、君は私を追い詰めるというのか。君だけではない。レイもきっと彼にあこがれて、あんなことを口にした。

 ああ、なんてくだらない。