「君ねえ、拾ったのなら名付け親になるだけの親心というものを見せないか」
「私がつけるよりもいいだろう。この子はうんと長い時間を君と過ごすのだからね」
腕の中でおとなしくする子どもは、自分の話をしていると感じているのだろう。視線は二人の間を揺れていた。
「君が助けたんだろう? ならば相応の責任を果たすべきではないのかな」
「名前だけ与えてあとは放り出すとしてもか」
「だからこそだよ。君との繋がりの証明がひとつくらい増えたっていいだろう」
ラウは、口元を歪ませた。私との繋がりだと? そんなもの、遅かれ早かれ身をもって知ることになるというのに。
「不要だよ、ギルバート。この子と私は、近くなりすぎない方がいい。私に何かあったときに、この子まで巻き込ませたくはないしね」
「そんなことを心配するなら、せいぜい長生きして語り継がれる言動を心掛けるといいさ」
そんなやりとりの二日後。ラウは子どもを一人連れてギルバートを訪ねた。すでに話はついているのだろう、使用人たちはにこやかに二人を歓迎し、応接間に案内する。
「やあ、はじめまして。ギルバート・デュランダルです。よろしくね」
黒髪の青年の挨拶に、子どもはなにも返さない。
「済まないね、こういうことにはまだ不慣れなんだ」
ギルバートは役所に提出する書式の一覧をタブレットに表示した。表向きは地球出身で、デュランダル家の遠戚の子ども一人がプラントに移住する、ということにしている。子どもの戸籍の届け出の他、ギルバートが養い親となるための審査書等、これからプラントで生活するための、必要な手続きはたくさんある。
「まず、君の名前から」
ギルバートが表示した画面には、氏名欄と、あらかじめ伝えられた推定だが、年齢の欄がすでに埋まっていた。
「レイ・ザ・バレル。気に入ってもらえるだろうか」
子どもは、不思議そうな顔をしてラウを見上げた。自分の名前、というのを、きっと理解できていないのだろう。
「名前というのはね、個人を区別するためのものだよ。これから君は、番号やアルファベットではなく、レイ、と呼ばれることになるんだ」
好きじゃない名前で過ごすのは辛いから、変えてもらうなら今しかないよ。ラウが小さな頭を撫でながら子どもをそそのかしたが、子どもは はじめて貰えたものがよほど嬉しかったようで。
「レイ、レイ」
と頬を紅潮させて繰り返し発音する。
「よし、君の名前はそれでいいね。では、私たちの名前も呼んでくれるかい?」
「はい。……ラウ、ギル、バート」
「長いと呼びにくいね。私のことはギル、で構わないよ」
子どもーーレイは、今度は困惑を顔に出してラウを見る。名前を呼ぶ、ということを実践したばかりのレイにとって、いきなり応用するというのは、難しい要求を突き付けられたに等しい。
「ギルバートが言いたいのはね、名前でなく愛称で呼んでほしい、ということなんだ。愛称をつけたりするのは、親しい間柄の者同士のことが多いね」
「レイ、ギルと親しい、じゃないよ」
悪意のないまっすぐな意見に、笑みを浮かべたのはラウだった。レイに同意して、ギルバートには挑発的な視線を送る。さあこの子が納得する説明をして見せろ。
ギルバートはそれを受けて、ソファで座るレイのそばに行き、目線をレイに合わせる。
「レイ、私はきみと仲良くなりたいんだ。そのための一歩として、ギル、と呼んでほしいな」
断りかたを知らない子どもは、素直に大人の申し出を受け入れた。気をよくしたギルバートは、レイの頭を撫でる。
「そうだ、誕生日も決めないとね。君の覚えやすい日にしようか」
「たんじょうび?」
「私達には縁遠いものだよ。この世界に生まれた日にちを登録しないといけないから、レイにも決めてもらうがね」
ラウはスケジュール帳を開き、今日の日付を指す。今日はここ。君がはじめてプラントに来たのがこの日。初めて会ったのはこれよりもう少し前。さあ、いつにする?
ラウの問いかけに、「レイがレイになった日は?」と子どもが尋ねた。「ラウも、レイって呼んでくれたら、そうなれるの?」
「どうだろうね。呼ばれる名前というのはひとつの側面でしかないから。……レイ、と名前を与えられた時点で、君はレイとして生きていくことが決められたんだ」
ラウは、小さな体を持ち上げて、膝の上に座らせた。こうして向かい合って話をするのは、思い出せない親子の記憶の再現だ。この子にとって大切な話をするときには、必ず目を合わせる。
「ほんとうに大事なことはね、君が一人で決めなくてはならなくなる。そして、君がどうなりたいかを決めるのは私じゃない」
レイ、君はレイとして生きていきたいかい? 問いかけに、ふわりと揺れた金髪を撫でて、ラウは微笑を浮かべた。
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レイ・ザ・バレル。それが、あの子に与えられた名前だ。
「最も優れたものの例えーーか」
ラウは、なぜスペルをRayとしなかったのかが引っ掛かり、検索した。地球の出身という設定、を加味していくつか見ていき、ギルバートならばこちらの意味でつけるだろうな、という確信に至る。
「一体どういうつもりだ?」
「あまり深く考えるものではないよ。ただ、イニシャルは一つ君からいただいた、というのと、君の名前の印象から出来るだけ遠ざけた、というだけさ。名前の響きは、近づけようにもうまくいかなかったけれど」
ラウは言葉を飲み込む。そんな呪いのような身勝手な欲望を、レイは私同様に背負っていく。
どうか、私と同じ道を辿らぬよう、どうか、私のように世界を呪わぬよう。