ギルバートは、メンデルへの迎えにレイを連れてくるように言った。遺伝子を神であるかのように信奉している男の情熱は、ナチュラルでもトップクラスらしい恵まれた螺旋構造を持たされた私にも何故か向けられているのだが、何故あの子まで巻き込む必要があるというのだ。そう聞くと、
「レイには出生のことをまだ話していないだろう。向き合うには早い方が良いだろうと思ったんだ」と、一体何が問題なのか、と返されてしまった。
やはりこいつは、遺伝子でしかものを見ない!
ここで彼相手に憤ったところで、メンデル行きも自分たちの持つ呪いも、彼の協力を無くしてはこの先数年生き延びられるかすら保証できないことも、何一つ変わることなど無いのに、こういう時は友の持つ残酷なほどの信心が憎くてたまらなくなる。ギルバートにとっての遺伝子というのはまさに彼を成功へと導いた羅針盤そのものなのだから、この点では一切合わないのだと理解はしているのだが。
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メンデルへはプラントからそう遠くはない宙域にあるし、ギルバートが所有する小型船で向かうことになるから、人数は最小限の二人だった。船の中に必要分の食糧や服、生活用水等を詰め込んでいく。その最中で髪を一つに纏めた使用人――アーシェといったか、彼女が私に紙袋を持たせた。
「今回のお迎えのご準備は、すべてお嬢様ご自身でなされたのですが、万一忘れ物があるといけないので、勝手ながら用意いたしました」
私は何と返事しようか、戸惑ってしまった。ただ家族のいる研究施設にお迎えに行く、というような呑気な道行きではないのだから。戸惑いをよそに、アーシェが続ける。
「こちらがお洋服や下着、タオル類、その他日用品が入っております。もう一つの袋は、ブランケットとカーディガンを。……お嬢様は寒がりですが、ご自身からは言い出せないかと思いますので、どうか気に留めてくださいませ」
「……お手を煩わせて、申し訳ありません」
「いえいえ。こういった身の回りのお世話も務めですので。……それに、嬉しいんですよ。目的が旦那様のお迎えとはいえ、お嬢様にとっては大役を任されたのと同じですもの。それに、最近になって旦那様からお嬢様を気にかけていただけるようになったというのに、このところの不在がありましたので。クルーゼさんも同行なさるなら、お嬢様がたの安全も保証されるでしょうし……」
私は応える言葉をついに見出だせず、曖昧に濁して紙袋を運び込んだ。
アーシェら使用人たちから、ギルバートがレイに向ける関心の薄さは何度も聞かされていた。彼女たちは「まだ若いうえ将来を考えている女性がいるギルバートが、妹とも娘とも言い難い関係の少女と関係を築けないのは仕方ないことではないか」と考えつつも両者を心配している、といったことは、半年に一度レイに会うかどうか、という状況だった私にも手に取るようにわかっていた。しかしギルバートは、レイのことを「手のかからないよい子」という目線で見ているから、何も……遺伝子の情報以外に関心すら示すことがなかったのだ。
そんな関係が一変したのは、ギルバートが数年間付き合っていたタリア・グラディスと破局したからだ。レイにとっては最悪のタイミングだったことだろう。彼が自身の運命に裏切られたその日に、運命が確定されていなかった少女を見つけて、望んだ道に進ませようというのだから。ヒトの持つ遺伝子に決められた得意不得意、適正に従えば成功が約束される……ギルバートは本気でそう信じているらしいが、果たして賛同者は今後現れるのだろうか。
確かに私は歪んだ目的のために作られておきながら全くそれにそぐわぬ道を歩いているのだが、それは私が奴のクローンだから、などという下らない理由などではないし、それを自身と似ている存在にまで強要しようとは思わなかった。
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メンデルには明朝到着予定であると話したからだろうか。レイが、枕を手にして私の部屋の前に立っていた。「眠れない?」と尋ねてみると、申し訳なさそうな顔をされる。この子には、迷惑ではないと口で説明するよりもこちらが行動した方が良いということはわかっているので、しっかりと抱き上げてベッドまで運ぶ。落ちてしまうといけないので、もちろんレイが壁側だ。寝かせて毛布をかけてやり、ベッドの縁に腰掛けようとしたところで「ラウはこっちに来ないの?」と聞かれた。
「レイは、私と一緒に寝たいのかな?」
と少し意地悪をしてやると、うん、と小さな声で返された。
「それなら、となりにお邪魔するよ」
レイのとなりに身をくぐらせると、ぴたりとレイが密着した。今日くらいはいいか、と思う。一週間ほど良い子ですごしてきた愛しい少女に、何かご褒美があってもいいだろう。
「さて、今日は何の話をしようかな……。レイはどんなお話が良い?」
「……ねむくならないの」
「これから眠る時間ではなかったかな?……そうだな、地球で昔から伝わっている、お姫様の話はどうだろう」
レイは、地球のことを知っているね? あそこには、プラントにはない本物の空と海があるんだよ。そしてね、プラントのできる前……うんと昔に、海のなかには人魚が住んでいたんだ。人魚というのはね、足の代わりに魚のひれと鱗が体についていてね、海の中を自由に泳げるんだ。……レイもすぐに泳げるようになるから、人魚になる必要はないよ。
海のなかには、国もできていてね、国王様が治めていたんだ。王様は、人魚たちに、海から出てはいけないよと、国民にいつも言っていたよ。なぜだと思う?
「……、人魚は、空気が吸えないから?」
なるほど、いい考え方だね。でも人魚は、水の中で息をしないのも、海面から顔を出して息を吸うのも、どちらもできたんだ。不思議だね。人魚の王様はね、私達みたいな見た目をした人間が、怖かったんだよ。王様は人間のことをよく知らなかったけれど、大きな船と網を使って漁を……魚を捕まえるのを見ていたからね。大事な国民が巻き込まれてしまうとかわいそうだろう? だから、近付いてはいけないよと言ったんだ。
ところが従わなかった人もいたんだ。人魚のお姫様……王様の一番下の子どもがね、人間に興味津々だったんだ。そう、気になって仕方がない、という意味だよ。約束を破って、船を見に行ったり、人間が海に落とした綺麗なものを集めたりしたよ。
ある日のことだった。その日はとても天気が悪くてね、嵐が来たんだよ。レイは、まだ見たことがない? いつもよりも雨音と風がうるさくなることを、嵐というんだ。風がぴゅうぴゅう、ごうごう鳴って、窓や屋根に大粒の雨が打ち付けられるし、傘をさして立っていられないくらい、天気が悪くなる。プラントではめったに起こらないが、地球ではどこかでこういう天気になるんだ。その嵐で、船が壊れてしまって、男の人が、海に落ちてしまったんだ。お姫様は、無我夢中でその人を助けて、砂浜まで連れていってあげたんだ。
その男の人が目を覚ますと、お姫様と目があってね。お姫様は、男の人に恋をしてしまったんだよ。どのくらい格好いいのかって? レイの格好いいと思う男性を思い浮かべると良いよ……おや、私が一番か。ありがとうレイ。嬉しいよ。
「お姫様はすぐに海に潜って行ってしまったから、男の人は、彼女にあったことは、夢だったと思ったそうだよ。お姫様は、戻ってからもその人が忘れられずに、もう一度会いたいと思っていた。……レイ? 眠ってしまったかな」
続きは明日以降話すとしよう。
お休みレイ。幸せな夢を見ておくれ。
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翌朝、メンデルの寄港箇所にシャトルを停めた私達は、身支度を済ませてギルバートを迎えに行く。レイは幾つかある礼服やドレスではなく、ギルバートのお下がりだという子供用のフォーマルスーツを着ていた。サイズは合っているし、レイが選んだのなら文句は言えない。これが彼女にとっての、ギルバートと対面するのにふさわしい格好なのだから。
私はかがんで、レイと目線を合わせた。
「ネクタイを結ぶから、後ろを向いて」
「いいの、ラウ?」
「勿論だとも」
首もとがきつく絞まらぬように注意しつつ、手を動かす。こういうときにじっとしていてくれる子だから、非常にやりやすかった。加えて、緊張しているのもあるだろうが。
「レイ、本当に一緒に行くのかい? 嫌ならここで待っていても良いんだよ?」
「ギルが来てほしいなら、わたしも行く。お願いラウ。連れていって」
ここで嫌だと言ってくれさえすれば、いくらでも対応できただろう。私達は迎えの船に乗ってきたから、君がこちらに来てくれと言うことだって。
渋る私に、レイが振り返って言う。
「お願いラウ。ここでひとりぼっちになるのはイヤなの! ラウの言うこと、ちゃんと守るからっ!」
必死に訴える同じ血を持つ少女に抱いた感情は、哀れみが勝っていた。この子は私と違い反抗するための牙を折られて生かされている。逃げるための思考を持たされずに育てられている。似通っているのは望んでもいない宿命だけだろう。私はレイの小さな背を撫でる。
「レイは良い子だから、約束を守れるね」
「うん……」
「それじゃあ約束だ。いいかい? 疲れたときや、具合が悪いと思ったときは、すぐに私に言うこと。私のそばから離れないこと」
「わかった、約束ね」
にこりと笑みを浮かべた少女は、ぎゅっと私の手を握った。
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やあ、久し振りだね。と友人はにこやかに挨拶してきた。レイもそれに「お久しぶりです」とよそよそしい返事をする。最近ようやく距離が縮まりだしたというが、この様子では打ち解けるまで時間がかかってしまうだろうな。
「ギルバート、例のモノは?」
「ああ、すでにデータは録れているよ。これでいつでも作れるから、いちいちここに足を運ぶ必要もない。最近はブルーコスモスの活動も過激になっていると聞くからね……ここが狙われる前に、と思って君達のデータも回収させて貰った」
「そうか。しかし本当にこれが君の研究所で作れるとは思えないのだが」
「そこは利用できるつてを活用するだけさ。もう許可も得ているしね。コーディネイターとして、ある程度調整はされても完璧とは言えないし、両親の身体的な欠陥が潜性遺伝していて、それがいつか表に出るかも知れないからね。遺伝子の欠陥を緩和するための研究ならばと、許してもらえたんだ」
「君は相変わらず口先だけは上手だな。……レイにはよく分からない話だったね」
こちらをじっと見上げている少女は、私の手の中の立方体、次いでギルバートに視線を向けた。
「ねえギル。ラウはどこか悪いの?」
「病気や怪我の類いではないよ。ただ、ラウに必要なだけさ」
そう言いながら、ギルバートは肩をすくめて微笑んで見せた。
レイは言葉の真意が掴めなかったのだろうが、私が現在健康である、という回答には安心したようだ。
実際は軍の定期診断で数項目引っ掛かっていることは言わずにおこう。特に視力の低下は顕著だった。MSのテストパイロットをして眼を酷使したからだと申告したが、放っておくわけにもいかない。そして外見があの男に近くならないことを願うばかりである。
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ギルバートの案内で向かったのは、クローン研究に使われていた場所では無いようだった。照明が切られているためか薄暗い通路を、進んでいく。大部屋を抜けて、細長い通路に出た。ギルバートが立ち止まると、進行方向に向けていた懐中電灯を床に向けた。
「第二のジョージ・グレンを産み出そうとした計画がかつてあったことを知っているかい。このフロアでは、人工子宮での赤子の育成研究が行われていたんだが、母体から受ける影響をなくすための研究だったのが、いつしか設計図通りの赤子を造り出す狂気の実験にすり替わった。ラウが作られたのは、その研究資金を得るためだった。フラガ家の資産を元にラウが作られたのち、第二のジョージ・グレンを生み出す研究が続き、ついには成功したという。レイには初めて話すかな」
おもむろにギルバートが語り出した。第二のジョージ・グレン――理想的なコーディネイターたった一人を産み出す資金のために、アル・ダ・フラガの理想とした不老不死のために作られたクローン。そして計画通り産み出されたものの、それ以降は情報が途絶え、生きているのかすらも知れない赤子。その間産み出されては廃棄される生命の数々。ブルーコスモスのテロにより、メンデルは一時無人となったが、その後も研究者が出入りし続けた。
かつかつ、と高い靴音を響かせてレイに近付いたギルバートは、目線を合わせるためかしゃがみこんで、懐中電灯を横に向けた。レイの顔も光の方を向く。手摺を超えた場所に、いくつもの機械が並んでいた。何か感じたのか、小さな肩が跳ねる。
「あの中には、君のように作られた子どもたちが、今も眠っているんだ。第二のジョージ・グレンの作成のため、人工子宮の稼働実験のため、無作為に精子と卵子を掛け合わせた末に受精した成長途中の赤ん坊と、君たちとほぼ変わらない螺旋構造をしたクローンがね」
「ギルバート!」
「そう怒らないでくれ。いつかはレイだって知ることだろう? ラウが作られたのち、人工子宮研究はクローン体を使っての稼働実験にシフトしたという。ヒビキ博士の理論での成功が一例だけ、というのは、科学者としてはシステムの実用性に欠ける、と言わざるを得ないからね。そこで設計通りの遺伝子をもつ人間を産み出せるか、という視点で研究がされた。クローンの複製、遺伝子操作も理論上可能だったから、君達のデータはまさに実験にうってつけだった、というわけだ。解析情報によると、元々の基礎能力も高いし、作成するだけなら簡単にできるしね。レイ、君もそういった理由で作られたひとりで…………ラウ、そう睨まないでくれ。この話は切り上げるから」
君の話は戻ってから聞くよ、とギルバートが身を起こし、来た道を照らした。私は固まってしまったレイに声をかけて抱き上げる。
やはりレイを連れてくるべきではなかった。レイはもうなにも見たくないと言わんばかりに、形に顔を押し付けてくる。
撫でてやっても声をかけても力がゆるまる事はなく、船に戻るまではずっとそうしていた。
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「あれはどういうつもりだい」
ギルバートの寝室で、私は問い詰めた。
「あの子に真実を知らせるのは、早いほうが良いと考えただけさ。君もあの子も、誰かのエゴで産み出されている存在だからこそ、そこに意味を見出だせなければ、やってられないだろう?」
「ならば君は作られたことに意味があったと考えるのか?」
ギルバートは顎に手を当てて、「作られた、か」と私の揚げ足をとるように呟く。確かに彼は第二世代コーディネイターで、両親の素質を色濃く受け継いではいるだろうが、そこに伴うのは男女の性交である。細胞の一つから作られた人間とでは、根本から違っているのだ。しかしギルバートは、「そう表現するのも、間違いではないと思ってね」と口にした。
「私の両親は、婚姻統制における遺伝子の適合……つまりは受精する確率なんだが、それが五割以上の確率の相手の中からお互いを選んだというから。愛情よりも合理性を取っていると言えるだろう。しかしそうして生まれているからこそ、早くから得意分野や興味関心のあるものは学ぶ機会を貰えていたし、愛したひとと子どもを作れる組合せではないこと以外は、充実しているといえるし、コーディネイターの種としての将来のために研究を続けることは、欲求を満たすことにも繋がると私は考えているよ」
ギルバートはにこりとこちらに微笑みながら言う。
「レイも、早めに自分の運命を知っておくことができるなら、その方が良いだろう? 常人よりずっと短い時間しか生きられないのに、秘めている可能性は健康であれと作られたコーディネイターの子供の数倍なんだよ。それをただ消費させるのは、あの子には勿体ないじゃないか」
「君は、デスティニープランだったか、その計画のためにレイを人柱にでもするつもりか?」
彼の計画――自身の遺伝子に沿った行動をすることで、誰もが自身に備わった能力を発揮し生きる事の可能な世界――は、挫折も競争も、発展も滅亡もない停滞した世界だが、ギルバートはそれこそが理想郷なのだと強く信じていた。明るい未来だと宣うだけあって、私が気紛れに囁く人類への戯言を否定するだけはある。
「言葉だけでは誰もついてこないだろう。実績と信頼を積み重ねなくては、こんなものは絵空事だと笑われてしまうからね。……それに、自身の運命に従って生きることが幸福なのだと自覚できたなら、レイに生まれた意味を与えることができるとは思わないか?」
「……否定はしないがね、ギルバート。君の腹いせにレイを巻き込むやり方は、賛同しかねるよ」
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部屋に戻ると、レイが隅のほうに座っていた。
施錠をしていなかったか、と思いつつレイに近付き、頭を撫でる。泣き腫らした目が、あの日そっくりだった。
「……怖かったかい?」
「ううん、こわくない。……ラウ、ギルのお話は、全部本当のこと? わたしはわたし以外の誰かを作るために、誰かに作られて生きてるの?」
「ちがうよ、レイ」
その想像こそが彼女が抱くべき恐怖心であるし、生命を弄ぶ人類への憎しみの原動力に足りる思考なのだが、レイにはそういう気持ちがない。
「君はもう、君自身として生きていていいんだ」
私が名を与えた日か、あの暗く狭い部屋で声を殺して泣いていた子どもを拾ったときからか。……いや、それより前、廃棄処分されるのが自分かもしれないという本能的に感じたであろう恐怖に縛られ続けて、それ以外の痛みを知らずに生かされていた頃からか。この子は、すっかり自分の抱く感情や感覚をそのまま他者に伝える、ということを知らないままでいる。常に誰かの顔色を疑い続け、必死に生存権を勝ち取ろうとしていたのだろう。
ギルバートの庇護下にいる間だけは、そんな薄暗い感情を持たせるべきではないのだが、ギルバートは私の考えなど無視して、今日ではないいつの日かに、レイに話していただろう。レイに私を重ね合わせ、実証実験を開始していたかも知れない。何にせよ、私とはまるで違うレイが、きちんと自己確立できるきっかけだけは、残したかった。
「レイは、大きくなったら、何をしたい?」
「……ラウみたいになりたい」
「今は、それでも良いけれど、他人に理想像を重ねるものではないよ。レイ自身がどうなりたいのか、というのに私は介入できないからね」
今は内緒にしているが、レイが大きくなる――登録情報が15歳に上書きされるまで、私が生きられるのかも不明だし、それまでにギルバートは、「さて、そろそろ眠る時間だね。部屋に戻るかい?」
「今日はラウと一緒に寝てもいい?」
「構わないよ。さ、パジャマに着替えておいで」
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その日、レイは寝物語に人魚姫の続きをせがんだ。昨日は途中で眠ってしまったから今日は最後まで聞くの、と張り切っていたが、結局は眠気に勝てないでいる。
翌朝になると何で起こしてくれないの、と訴えられるが、そんなことを聞かれても知ったことではない。次はもう少し早い時間から話そう、とこちらが持ちかけても、ベッドに入って数十分もたてば寝息を立てているのだ。体を密着させて眠りたがるのが彼女なりの甘えかただと自分を納得させてからは、気にならなくなってきたが。
数日に分けて話したシナリオは、プラント内のシャトル発着場に到着する前日に終わらせることとなった。レイは私との別れがすぐに訪れることを理解していたのだろう。
人魚姫がこっそり魔女の住処に行き、声と引き換えにして、人間の足を手に入れたが彼女は上手に歩けないし話せない。誰かを愛し愛されることができたなら、声は返すが、時間をかけすぎると、人魚姫が消える呪いをかけた。弱ってしまった彼女に手をさしのべたのは、かつて助けた王子だった。王子は命の恩人の面影のある女性を放っておけず、城に住まわせた。しかし王子には姫と瓜二つの容姿をした女性を好きになっていたし、その人が自分を助けてくれたのだと思っていた。だから人魚姫の好意に気付くことはなく……これからレイに話すのは、何も選び取れなかった少女の結末だ。
お姫様は、海の向こうにある国から、事故で流されでもしたんじゃないか、と王子様は思い付いて、お姫様を連れ出したんだ。王子様の住む国は、海に囲まれていたから、見たことのないものや遠い国の船が流れてくることがあってね。もしかしたらと思ったんだろうね。王子様がもっとはやくに思い付いていたら、お姫様はこっそり海に帰れたんだけれど。
お姫様は、新月の夜が明ける前に海に帰れなかったら、消えてなくなってしまうんだ。そういう約束だったからね。お姫様は悩んで悩んで、いいアイデアが浮かばなかった。お姫様は、ちょっと気分転換をしようと思って、甲板に出た。新月だから、星のよく見える日だったんだろうね。ふとお姫様が海を見ると、なにかがキラリと光った。気になったお姫様がじっと見てみると、お姉さんたちの迎えだった。一番上のお姉さんが、お姫様にね、いい? あなたが好きな人をナイフで刺すのよ。そうすれば、あなたは声が出せるし、歩けるようにだってなるわ。できないのなら海に帰って来てもいいのよ。お父様はカンカンですけどね。二番目のお姉さんが、ナイフを投げて、叫ぶように言ったよ。急いで! もう東の空が明るくなるわ!
お姫様はナイフを拾った。王子様はもう好きな人がいるのに、その人の愛を受け取らずに、ナイフで刺してしまおうだなんて、物騒だと思うかい? でもお姉さんたちは、それが姫を救う方法だと信じていたのさ。ナイフで脅して、愛の言葉を囁いてもらえばいい、とか考えていたかもしれないね。お姫様がどういう考えだったかわからないけれど、お姫様はどうにか眠っている王子様のそばまで近付いた。王子様の寝顔はとても穏やかでね、ちっとも起きそうになかった。お姫様はナイフを突き立てようと決心しようとしたが、王子様は殺せなかった。もう夜明けは始まっていて、お姫様は力が抜けてしまっていたし、好きな人を傷付けるなんて、できやしなかったんだろう。
お姫様が静かに消えるのを待っていると、王子様が目を覚ましてね、おや、朝早くにどうしたんだい、と聞いたんだ。お姫様ではなく、好きな人の名前を呼び掛けてね。
……お話はこれで終わりだが、ここからが大事だから、よく聞くんだよ。レイは、どうしたらお姫様が気持ちを伝えられたと思う? 声も出せず、上手に気持ちを伝えられず、それでもお姫様は、王子様になにか伝えられたんじゃないかと私は思ってね。……好きとか助けてとか、そういった気持ちをね。
レイも、もしかしたら助けてって言いたいときに、声を出せなくなっているかもしれないだろう? そういうときに、じっとして誰かが手をさしのべるのを待っていられる時間は、私たちには無いからね。レイが一番大切だって思える人に、ちゃんと伝えられるようになってほしい。思いというのは、言葉にしなくても、伝わることがあるからね。
どうしたらお姫様が助かったのかを聞くのは、次に会った時にしようかな。それまでじっくり考えるんだよ。方法は多いほうがいいからね。
……さあ、今日はお休み。幸せな夢を見るんだよ。