裏でどのような情報操作があったのかは知り得ないことだが、レイ・ザ・バレルは少年としてアカデミーに入学した。彼の人の目的――SEEDを持つ可能性のある同級生の監視のためには、性別を偽り友人として接するのがいいらしい。入学当初はそれで難なく生活出来ていたし、彼の指導役という信頼を得やすい立場を手に入れられた。順調と言える結果だ、ここまでは。
一年目の過程を終えた時点でのレイの実力は、座学はトップクラス、実技は本来の性別である女子生徒の中では上位、という結果だった。
実力主義のザフトでは、性別は大きな差にはならない。特に赤を得られる実力者は、一般的に言われる体力面や身体面よりも、MS操縦技術が重要視されるからだ。しかし現実問題として、狭い空間で複雑な操作を強いられるのに耐えきれる体力や精神力がなければならない。それにいくらMS操縦が上手だろうが、それだけでは赤を着られない。白兵戦、情報処理、諜報――身に着けるべきものは多岐にわたる。だというのに現実はどうだ。ラウの姿があまりにも遠い。
不安と焦燥が、レイを支配していった。
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アカデミーには、夏期休暇が設けられているが、寮は解放されているため、実家に帰る生徒と残る生徒は、毎年半々だという。メイリンとルナマリアは揃って育ったプラントへ帰って行ったし、整備科生のヨウランとヴィーノは技術研修があるらしく、家には帰らないものの、しばらく寮からは離れるらしい。シンとレイの二人は、寮に残る選択をした。シンはレイに帰らないのかと聞いたが、「施設を使い放題ならメリットを最大限活かしたい」と返されたので、それ以上は聞かなかった。
二人の生活もほとんど変わらなかった。マルナナマルマルで朝食から始まり訓練場の一部が解放されるのはマルキュウマルマルから、ヒトフタマルマルで昼食、ヒトキュウマルマルで夕食、という規則正しいリズムの繰り返し。午前はレイに教わりながら課題を消化し、昼食は一緒に食べ夕食までは別行動、が基本だった。
この日もそのようにしていて、レイは昼食後、射撃演習場に行ってしまう。レイの目元にはうっすらとではあるが隈ができていて、思わず「寝不足? それなら休んだほうがいいんじゃないか、一日くらい」と軽い調子で口にしたが、取り合ってくれない。
心配なら、様子を見に行けばよかった、と後悔したのは、僅か数時間後だった。
訓練場は通常ヒトナナマルマルで閉鎖されるので、何処にいようとその三十分前にお互いに連絡する、というのが二人の間の約束事だった。お互い集中しすぎてしまうと、時間を忘れて没頭してしまう性質だったので、閉め出しされないように、夕食を食いっぱぐれないようにするための対処法だ。
シンの携帯電話の震えが約束の時間を告げ、メール画面から一言のメッセージを送る。シンは自室にいるのでレイからも反応があれば、何も気にせずに過ごせたが、五分ほど待っても、何も返ってこない。
たまたま充電が切れたとか、すぐに操作ができないとかなら、俺の思い込みで済ませられるけれど、もし倒れたりしていたら……?
シンは保冷剤とスポーツドリンク、タオルをあるだけ袋に詰めた。
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歪んだ視界がまず捉えたのは、たぶんシンだと思える人影だった。明瞭になるにつれ、氷のぶつかる音や頭痛、体の冷たさがやってきて、自分の置かれている状況を整理できたのは最後になってからだった。
「良かった。目覚めたんだ」
シンがストローを差したペットボトルをレイの顔に近付けたので、ありがたく頂いた。吸い込むのも飲み込むのも、力が入らないせいでゆっくりではあったが。
顔を背けるとシンはもう要らない、というのを察してか、ボトルをテーブルに置いた。
「レイ、そのままでいいから聞いて。そもそも、どうしてここにいるとか、ここがどことか、そういうの分かるか?」
「…………わからない」
そっか、とシンは頷き、順を追って説明した。ここは保健室の横の仮眠室で、時刻はもうすぐ二十二時になるという。更衣室の隅でぐったりしていた自分をシンが見つけて、保健室まで運んだ。オーバーワークにより疲労と脱水が重なっていたと思われるそうで、三日間は原則運動禁止が言い渡された。その間シンが監視役らしい。冷却シートと保冷剤が用意されたのは、熱中症かどうか正確に判断できないので、そうだったときのための保険だそうだ。
「レイ、寝る前に一つだけ聞かせてくれないか? 」
天井に向けた視線を横にずらす。
「なあ、なんでそんなに無理して訓練してるんだ? レイだって、疲れてるのとか具合悪いのとか、自分でわかるだろ」
「手間をかけさせたし迷惑もかけたのはすまない。でも、このくらいなら、平気だと思っていたんだ。それに、訓練期間はあと一年もないんだ」
「……レイの気持ちはわかるけど、それで無理して倒れたりしたら、元も子もないだろ。とりあえず今日はここで寝てもいいって許可貰ったから、もう寝よう。……俺も今日はここにいるから、何かあったら呼べよな。お休み」
「お休み、シン」
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目を覚ますと、レイがしょげた顔をしてこっちを見ていた。ヤバい、寝てたのか俺!
「シン、私なんかに構わずにベッドで寝れくれ。シンまで体を壊してしまう……」
上半身を起こしたレイが言った。確かに、椅子に座ったままでうとうとしている俺は、回復中のレイから見て心配になったらしいし、逆の立場だとしても、レイが俺と同じ行動をしていたらやめさせようとするだろう。
「……心配させてごめん。俺、暫く横になってるわ」
「そうしてくれ。昼前には起こす。……それと、シンに聞きたいんだが」
シンは寝る体制に入りながら聞き返した。ヤバい、自室のと比べて薄すぎるけれどお布団の誘惑ヤバい。
「ずっとああして座ってたのか?」
「? そうだけど……」
そうか、済まなかった、と謝るレイの声が聞こえた。確かに倒れるまで無理をしていたのはよくないが、この一件で謝罪される理由が思い当たらなかった。ありがとうなら、まあ受け入れるかもしれなかったけれど。
まずは、勉強みてもらうのに加えて一緒にトレーニングしないか誘ってみるか。強くなりたいのは俺も同じだし、二人なら内容も充実させられるだろう。レイのメリットがかなり少ない気がするけれど。
そんなことを考えている最中、シンは深い眠りに落ちていった。