12月に入ったので、シンは軍上層部にクリスマス休暇を貰えないかと突撃した。イブの前後ならどこだっていいので、と伝えると、あっさりと許可が降りる。イブと当日はさすがに不可能だったので、ただの平日だったけれど、その日が今月で何よりも重大な日となった。


 シンはメサイア戦役ののち、ザフトを辞めてオーブ軍に入った。一緒に来てくれた、というより無理矢理連れだしたレイは、今は塾講師のアルバイトをして過ごしている。週末になると元々キラたちの手伝っていた孤児院の子どもたちの勉強を見に行っているらしい。直接話を聞きたいものの、中々リズムの合わない生活では叶わない願望だ。
 そんな生活で大いに役立っているのが、レイがいつの間にか置いていた一冊のノートだった。タブレット端末が普及している現代で、わざわざ手書きするものを用意したらしい。伝言板がわりに使われる一冊と、レイの体調を細かく記録するための一冊だ。後者の方は幸いなことに書き込みが少ない。シンがパラパラ捲ってみても内容のほとんどが日付と体温の記録のみ。あまりページが進んでいないことに安堵し、もう一方のノートを開く。
 こちらも最初は帰りが遅くなる、とか傘を持っていけ、とかの簡素な連絡事項だけの寂しい内容だったのが徐々に何を食べた、とか今日はこんなことがあった、とかの日常生活にも触れられていくようになって、一気に消費ペースが早まった。たまにコメントを添えたり、メッセージカードを挟めたり――オーブでもプラントと変わらず季節ごとにイベントが来たので種類に困ることはない――まるで交換日記のようだ、とシンは思っている。おおよその事項を共有できていると思い違いをしていたザフト時代からは考えられない変化だ。


 ずっと浸っているわけにもいかず、ボールペンを手にして帰りが遅くなることと、できれば休暇をあわせて欲しいことを書く。
 ……せっかくのクリスマスだし、レイの食べたいものを作ろうか。
 そんな気持ちで、ラスト数行でリクエストを募集した。




 レイは夕方頃は空けられたもののテスト採点の手伝いがあるということだったので、シンが一人で買い出しに向かった。買い物カゴには夕飯の材料が入っている。プラントなら酒が買えたのにな、と思うがあと数年我慢するしかない。オーブで暮らすということは、そういうことだ。
 夕飯の後にも色々としたいことがあるので、ドラッグストアで必要なものを購入し、帰り道にある菓子店でに数個ケーキを買う。名目はクリスマス休暇とはいえ、実際の日付よりだいぶ早いし、二人でホールケーキは大きいし、甘味が平気なレイはともかくシンの胃が悲鳴を上げそうだ。



 午後三時前に、レイが帰ってきた。カフェラテの準備をしながらお帰り、とシンが微笑むのに、レイは驚いた顔をする。律儀に帰宅時間を記入しているから予想がしやすいという簡単な事実に、彼女が気付かないことはないと思うから、次からは驚かずにただいまを返すのだろう。
 コートを掛けて、手洗いうがいを済ませてレイは指定席に着く。オフホワイトのカップに注がれたカフェオレに、顔をほころばせた。
「ありがとうシン。美味しいよ」
「どういたしまして。今日のやつちょっと濃く淹れちゃったけど、大丈夫そうでよかった」
「そういうことは口をつける前に教えて」
 ごめん、と謝る声に続けて、今日はどうだった、と話題を振ってみる。レイは話せることを探って視線を下に落とした。
「採点の合間に、シンのことを聞かれた」
 何で? という疑問は気管に入ったブラックコーヒーに邪魔されて出てこなかった。ゲホゲホとむせているシンの背中を、控え目な手つきでレイが擦る。
「そんなに動揺することだった?」
「レイだって、急にそういうこと聞かれたらビックリするくせに」
「……それはひとまず置いとくとして、どんなところが好きとか、今日はなにするとか、色々聞かれたよ」
「ふうん。なんて答えた?」
 ノーコメント、というつれない返事の速度は、たぶん音速に近い。




 夕食はレイのリクエストであるオムライスに生野菜のサラダ、具材を賽の目切りにしたスープだ。レイのために一人で作りたかったけれど、彼女は座って待つのを良しとしない性格なので(ギルバートさん相手だとおとなしく待つというのに!)野菜のカットと食器洗いを頼んだ。あとはスープを温めるのと炒めたチキンライスに半熟卵を乗せるだけなので、二人分のサラダを手にレイはいつもの席に座る。ほどなく、換気扇のスイッチが切られた。
「はい完成品、熱いから気を付けて」
「ありがとう。……シンのぶんは?」
「レイが一口食べるの見てから持ってくるよ。美味しいか聞きたいし」
「そうか。いただきます……」
 スプーンで取り分けたオムライスをパクリ。おいしい、と微笑んだのを焼き付けて、シンも自分の分を運んで座った。じろじろ見るのは失礼だと思いながら、それでも久しぶりの二人の食事で嬉しかったし、美味しいと言ってくれて、幸せそうに食べてくれるというのはもっと嬉しい。見すぎてしまったので、気になるからやめて欲しい、と指摘されてしまったが。向い合わせで食事をとる、穏やかな時間を過ごせるのはいいことではないかと思う。


 二人でケーキを分けあい――というより、いつも通りに甘さ控え目なものをシンが選んだ――ソファーでシンが寛いでいる真横に、レイが座る。珍しい。いつもなら、ピタリとくっつくように座るのに、許可を求めるのに。

 レイはしばらく、なにもしなかったが、とん、とシンの体に体重を乗せる。
「家族と過ごすというのは、こんな感じだろうか?」
 レイが静かに声を出した。声色からは、過去を懐かしんでるのか、同意してほしいのか判断できない。二つとも不正解、ということもある。 
「…………ギルと、過ごしていた時のことを、思い出した」
「……そっか」
「ギル、優しかったんだ。クリスマスだけは、二人きりで、ギルが色々してくれて……今日のシンみたいだった」
 聞こえる声が落ち着いていることに、シンはほっとした。彼女にとってのギルバートは、大切な家族という言葉では到底表せない存在だ。ギルバートの理想のために命を捧げようとして、何も持たされなかったレイに役割を与えて。その関係が終わった瞬間までもレイが思い出すのではと危惧していたが、要らない心配になりそうだ。
 ……しかし、恋人としては納得できないことがある。
「俺はまだギルバートさんと同列?」
 レイにとって、たぶん最上級の褒め方をしてくれたのだろう、ということはシンには分かる。しかし先程の言い方では、まるで自分が彼女の保護者の下にいるというか、恋愛対象ではなく家族として見られているというかで、複雑なのだ。
「ギルは特別だけど、シンと比べるつもりはなかったんだ。ギルとシンの、どちらがすぐれているかとか、そういうのは……」
「いいよ、レイ。今のは俺の聞き方が悪かった。……でもさ、レイ。付き合ってる身としては家族扱いは寂しいんだよなあ……」
 シンは移動して、座るレイの正面に乗り出して、後半は、耳元で囁くように口にした。甘い雰囲気の作り方もそういう気分にさせる方法もさっぱり知らないシンの唯一の攻撃。縮こまって、両手を握り目をぎゅっと瞑って、ひたすら次に備えて防御し続けるレイは、とても可愛い。
 そんな可愛い彼女が、警戒心を弱めたところでキスをすると、もっと可愛いすがたになるんだ。