またやったのか。言葉に出さない代わりに、溜め息と共にわざと伏せた目に反応して、シンはそっぽを向いた。じっくりと手を観察されないのはありがたい。そう思いながら、レイはコットンに消毒液を染み込ませる。時々上がる抗議の声を無視しながら、黙々と手を動かす。持っていきなさい、と入寮前に渡された救急箱の中身は、すでに半分ほどに減っている。
怒りでしか感情をあらわせない赤い瞳の少年を、レイは哀れんだ。
シンは、あの戦争の終結を知らないわけではないだろうに、青い翼を持ったMSに対して強い憎悪を持っていて、それを内側に閉じ込めようとしなかった。あれは、プラントでは英雄扱いされた機体であるにも関わらずだ。当然、プラント出身者が占めるアカデミーにおいて、彼は白眼視された。彼が難民であること――つまり、プラントにとっては余所者であったことと、天涯孤独で、後ろ楯のない人間であることが大勢が彼を自分より下に位置する人間だと認識させる理由だった。
こんなところで折れられるのはギルの計画に障るから、という建前と、青い翼を駆るパイロットへの個人的な感情から、レイはシンを否定しない。
シンの家族の仇は、レイが許すことのない存在だった。彼は何も知らずに生きている。それを許されている。毎晩魘されるシンに付き合って目を覚ますうちに、彼への同情を覚えたのかもしれない。
「シン、背中を向けてくれ」
「いいよ、自分でやるから……」
「ダメだ。ちゃんと治療せずに悪化させたらどうする」
レイは数度のやりとりの中で、こう言うシンはなにもやらないことを学習しているので、言い聞かせるような口調になってしまう。それで素直に従ってくれるしおらしさを持つなら、要らない苦労をしなくて済むのだが。
「お前にとってフリーダムガンダムはオーブと同様、家族の敵なのだろう。……最新鋭の機体と戦艦を非力な歌姫に奪われたことをザフトは気にしなさすぎだとは思うが、それを帳消しにしてしまえるのが、三隻同盟の功績だ」
「ならなんで、ラクス・クラインもフリーダムも英雄視しかされないんだよ?」
「そうだな……ここがプラントだから。理由があるとするなら、それしかない」
シンは分からない、と素直に打ち明けた。シンは地球の――中立を掲げ、実態は詳しく知らないがナチュラルとコーディネイターが共存し、戦火からは遠い世界だっただろう、オーブの出身だ。終戦後宇宙を渡ってきた彼がすべてを理解できないのは仕方ないことだとレイは思う。シンが無関心であるように、地球の少年を気遣うものは、プラントにはいないのだから。
「血のバレンタイン……おおよそは知っているだろう?」
「ああ。ユニウスセブンが連合の核攻撃で破壊されて、それで地球に戦争圏が広がったから……」
だが、その時オーブにいたお前にとっては対岸の火事だったんじゃないのか? レイは内心で吐き捨てる。デュランダルの頼みがなければ、表層に出してしまったかもしれない。
「非武装コロニーに核を撃ち込まれる恐怖を、誰も忘れることなどできない」
故郷が、理不尽に焼かれたんだ。お前だってそうだったろう? レイは残酷な言い方で、シンに伝えた。
シンにとってのオーブは、彼と彼の両親、大切だった妹を一度に亡くした――言い方を変えると、故国は国民を守らなかった――場所だった。彼の持つ平和への願いであると同時に、復讐心の原点ともなる、いまだに血を流し続ける記憶だろう。それは、プラントも同様だった。次は自分たちの住処が狙われるかもしれない、野蛮なナチュラルを生かしてなるものか、あそこには家族が、知人が、同胞が。人々の嘆きを、プラントの誰しもが共有した恐怖を、シンは知らないままここにいる。
コーディネイターとは言えない自分が共感できるものを、同じ人種であるはずのシンはできないまま、アカデミーに入学した。そういう意味では、シンは孤立している。……私がギルの目指す方向に、好きなだけ導ける、付け入るだけの隙を晒されている。
「なあレイ」
どうした、と優しい顔を作って応じる。深紅の瞳が、まっすぐにレイを見据えた。
「レイの知ってることでいいから、プラントであったこともっと教えてくれない?」
告げられた言葉も見せつけられた姿勢も真剣そのもので、レイはどう切り返すべきか悩んだ。結局、可否を声に出すことができず、理由を聞いた。
「俺、レイと話して全然プラントのこと分かってないって気付かされて……戦役もオーブのこと、俺のことしか考えてなかった……。俺がこれから守っていくのはオーブじゃない、地球のどこかじゃない。なのに、ちっともプラントのこと、知ろうともしてなかった! ……だから、レイに話してもらって、ちょっとでも良いから、わかっていきたい」
ずいぶんとしおらしい、らしくない態度だと思った。怒ること以外で表情をおもてに出せることも、シンはシンなりに前を向いていることも、レイにはようやく知れた一面だった。
レイは腕を組み、さも考え事をしているかのようなポーズを作り、口を動かす。
「俺の主観混じりでよければ構わない」
「本当か?」
「お互い疲れてないとき、課題や予習が全て終わっているとき。こういうなにもない時間なら付き合おう」
それと、とレイは付け加えた。
「確かに俺たちの目指すザフトはプラントの防衛が第一種任務だが、プラントと地球国家の平和維持も、任務の一環だと俺は思っている」