少しずつ寒くなって、お出かけになるともう一枚着るものが増えたある日曜日。母と息子が手を繋いで、ひまわりソーイングにやってきた。布のいっぱいある方に向かおうとするこどもを、今日はそっちじゃないの、と母がしゃがんで語りかける。
「いけませんよ、雨竜。今日はお洋服や小物づくりの布じゃなくって、毛糸を見ましょうって、お話ししたでしょう?」
 うん、と小さく頷く子どもに、母親はいいこですね、とひとこと言って、毛糸売り場に向かっていく。少しエスカレーターの苦手な雨竜に合わせて、ゆっくり階段を昇って、売り場への道を歩く。

 毛糸売り場は、これからが本番といった時期柄、それに休日ということもあって、すこし人が多い。でもそれは大人の目線での話だった。手芸店の一角にあるポップが目を引く『小さいお子さま向け商品』の広い売り場は、子ども達が見て、手に取りやすいように低い場所に商品が固まっている。
「雨竜、何色がいいかしら」
「……お父さんとお母さんと、おそろいのがいいな」
 母親は、困ったように眉を下げた。
「それなら、手袋はおそろいにしましょうか」
「マフラーは?」
「そうねえ、おんなじ物が三つあったら、きっとお父さんが間違えて雨竜のを持っていってしまうわ。そっちは、バラバラにしましょう」

 まずはあなたのマフラーになるものを探しましょう。そう促して、親子はたくさんある毛糸を見つめる。……といっても、雨竜の好みははっきりしている。子どもがテレビの画面の向こうのヒーローに憧れるように、近付けるように、同じ色を身に付けたがるのだ。白、青、水色。あなたの一等好きな色たち。
「ねえ、お母さん」
 きゅ、と控えめに力を込める仕草は、欲しいものがあるのに言い出せない、内気なこどもの癖だった。彼の欲しいものが手に取るようにわかる彼女は、細い指でサンプルに編まれただろうコースターを手に取った。赤、ピンク、橙、黄色……。子どもたちの好きななにかはずいぶんとカラフルだ。何度か繰り返して、目当てのものだろうそれを見せる。
「素敵な色ですね。これにしましょうか」
「これがいい」
「次はお父さんの毛糸ですね。何色がいい?」
「あおいのがいい」
 青にもたくさんありますから、じっくり見ましょう。母親の言葉の通り、ざっくりとブルー系統が纏められていた。お父さんに似合うものから選びましょうね。そう少しだけ誘導して。お父さんっぽい色にする、と張り切って選んだのは、青よりも紺色に近い。
「お母さんは、お母さんのね」
 笑顔で手に取ったのは、雨竜のよく知る霊子の色に似た、淡い水色だった。






 その日、夕食を済ませた親子は早速、息子のためのマフラーを編み始める。きれいな色だから、模様編みをするよりも、元々のグラデーションをいかすようゴム編みで編んでしまった方がいいかしら。
「雨竜、此方へいらっしゃい」
 ある程度の長さになったので、息子の首に当ててみた。もう少し目数を増やして太くした方がいいかしら?
「ねえ、お母さん」
「なあに?」
「あのね、ぼくのにね、入れてほしいものがあるんだ」
 さっきまで手にしていた編み針をおいて、雨竜に向き合う。やっぱり、手を握っていたので、そうっと両手で包み込んだ。柔らかい。
「あのね、…………」
「ええ、……。お母さんにもできるかしら」
「できるよ。お母さん、なんでも作っちゃうんだもん」
 自信に満ちた、母親のことを信じきった愛しい子どもを、たまらず抱き締めた。これは、期待に応えなくては。あなたが私達の道を誇りに思う日が来るいつかのために。あなたがいつか戦うそのとき、この一時が、あなたを守る盾の一つになれるように。



 小さな子どもが寝る時間に帰ってくる父親を出迎え、夕食を温める。観察眼の鋭い彼は、小さな変化にもすぐに気がついた。彼女御用達の手芸店の紙袋に、かごに入った編み針と、子供用だというのが明らかな、小さいマフラー。
「雨竜のものか?」
 その言葉数の少ない質問の意図を汲み取った彼女は、ええ、と笑みを浮かべた。
「これから寒くなりますから。竜弦さまのものは、雨竜のものが完成してから取りかかりますね」
「もう完成してるんじゃないのかい」
 竜弦はグラデーションの美しいそれが、すでに完成しているものだと思ったが、どうやら仕上げがあるようだ。手芸なんて家庭科の授業でやったきり、ボタンはつけられるがそれ以外は、という実力の竜弦にはわからない世界。昔から家事全般をこなしていたけれど、そのなかでも針仕事は得意なようだった、彼女の持つ性分も影響しているのだろうが。
「青い十字架を、まだ入れていないので」
「……叶絵、それは」
「雨竜にはまだ早い、そう仰りたいのですか、竜弦さま」
 竜弦の言いたいことは、彼女にだってわかっている。幽霊が見えること、虚を滅却するちからがあること、そのどちらも雨竜に伝えたけれど、それを行使することは、せめて小学校の高学年からでも、というのは母としても、滅却師の一人としても願っている。それでも、だった。
「竜弦さま、雨竜はあの十字に憧れているのですよ。それを取り上げてしまうなんて、私はしたくありません」
「……君がそこまでいうのなら、好きにするといい」
 その言葉に含まれる遠回しの肯定に、彼女は笑みを浮かべた。


 それから数日。
「お父さん見て。これね、お母さんが作ってくれたんだよ」
 好きなものが詰まった手編みのマフラーを巻いて、きなり色の手袋を履いた雨竜が、竜弦の私室に、自慢しにやってくる。マフラーには白地の部分が付け足されて、ワンポイントの青い十字がアクセントになっている。手袋にもつけてもらったよ、と手の甲も見せてくれた。
「お母さんにありがとうを言ったかい?」
「竜弦さま、もう何度も聞いているので、その心配はいりませんよ。……はい、こちらが竜弦さまのものです」
 妻から手渡された二つ、竜弦はそのどちらにも十字が浮き上がっているように見える。
「今年は家族おそろいです」
 微笑む彼女の首を彩る水色にも、細い指を隠す手袋にも、同じ大きさの十字があった。