タイキシャトルの海外G1挑戦表明。パールの喉の状態。不安要素ばかり積み重なるなかで、海外遠征していたシリウスシンボリが私のトレーナー室の扉の真正面に捨ててくれたメモが、ひとすじの光だった。
 彼女の肌が、足が、感じたフランスとイギリスの実態。欲しい情報はすべて詰まっていると言ってもいい密度。レース情報は、未知の競馬場の馬場、レース傾向を研究するためか、彼女の出走予定のないクラス、距離のものまで記されている。
「……モーリスドゲスト賞?」

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 安田記念の数日後、パールと二人で話し合った。パールにとっての運命的なG1レースの回避、タイキシャトルとの直接対決の回避。
「私は貴方に海外G1を獲ってほしい」
 本心だった。シーキングザパールなら海外でも勝てる。……絶対と言い切れるライバルと違って、こちらは有利になる条件をかき集める必要があるけれど、パールも勝てる。私はそう信じている。
「一週間なんて誤差よ。もしもタイキシャトルがモーリスドゲスト賞……あるいは他のG1を勝ったあとに貴女がジャックルマロワを制したとして、先に走破した彼女に対してずるいって思うかしら」
「思わないでしょうね。でもトレーナー。前にもあなたと話したでしょう? これでは世界に可能性を示すことはできないって」
 パールの表情は真剣で、その顔に陰りはない。彼女は自分自身の選択を正しいと信じている。

それもそのはず。彼女の壮大な夢は、すべての人に平等に訪れるべきチャンスが訪れたときに、力強く背中を押すこと。あるいはその背中を優しく見守ることだ。あるいは彼女自身が女神のフリをして、追いかけさせることかもしれない。可能性は、チャンスを横から掠めとることじゃない。真っ向勝負を回避して見せるレースが、彼女の夢のかたちじゃない。それでも。
「私は、今の貴方に走って欲しいの。一年後なんてのんびりしたこと言いたくない」
 私だって、譲りたくなかった。パールはどんな困難も乗り越えられる芯の強い少女で、今回の見送りの判断も諦めたからというわけではない。そんなこと、私はとっくにわかっている。
「一年後に今以上に走れる保証なんてないんだから、私は今すぐ遠征してもらいたい!」
 パールが最高のコンディションのうちに。
 シリウスシンボリのために。
 シーキングザパールが、可能性を示すために。


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 結局、シーキングザパールが折れてくれた。日本のトレセン学園の施設に近いイギリスのトレーニング施設で調整し、フランスに前日入り。……パールは水と枕が変わったくらいで調子を崩さない子で助かった。たくさんの水を手配して、自宅の枕を大事に抱えて飛行機に乗った私が心配されてしまうほど。
 そして迎えたレース当日。
「パール、思いっきりやってきなさい。あなたなら勝てる」
「ええ、期待していてちょうだい!」

 その日。いつもは後方から差す走りを好むパールが序盤からハナに立ち、鮮やかに逃げきった。強い。ああ、成し遂げたんだ。
 ウィナーズサークルに胸を張って立つ彼女は、高らかに会場中に宣言した。
「来週出走する私のライバル、タイキシャトルは、もっと強いわ!!」