後を託すというのは、残す者の都合のいい押し付けだ。俺の諸々まで受け止めさせるつもりは化け物が現れるまで毛頭無かったが、彼らを逃がすための最善策を考えると、自然に浮かんだ。青く揺らめく炎は眼前まで迫っている。考えている時間はなかった。
指笛を吹く。飛竜はすぐに舞い降りた。
「飛竜に乗れ!」
ガイがマリアを飛竜の背に乗せ、次いで彼自身も乗る。
「リチャード!? 何をするつもりだ!!」
叫ぶフリオニールを突き飛ばす。何をするか、だって? ここで化け物を倒せば今度こそ争いは終わり平和な世界が作られる。そのための戦いに決まっているではないか! 俺の勝手で反乱軍のお前たちを巻き込むわけにはいかないだろう!
リチャード・ハイウィンド。竜騎士の誇りにかけて、お前たちは生き延びさせる!
フィンで戦争終結を飾るはずだった祝宴は、乱入者による強引な幕引きを迎えた。
「ダークナイトのレオンハルトがパラメキア皇帝を名乗った」
リチャードにとっては言葉通りの意味だったが、皇帝を名乗った人物の名はフリオニールら、ヒルダ王女とゴードン王子には、大いに衝撃を与えたらしい。リチャードのもの言いたげな目線にいち早く気づいたガイが、「レオンハルト、おれたちのきょうだい」と教えた。
恐慌に陥るかと思われたその場は兵士たちが集まった貴族を帰したり魔道士や軍師が集まり出すことで、数分もかからず戦争下の空気となった。パラメキアをどうするのか、緊急会議で話されるのだろう。そこには当然フリオニール達も同席する。
「私は飛竜の様子を見に行く。何かあれば呼んでくれ」
言い残し、竜騎士はその場をあとにした。飛竜は鏡の間でおとなしく寝ているはずだろうが、今の騒ぎで起き出したとも限らない。
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リチャードは反乱軍ではないしダークナイトと対峙したこともない。彼が皇帝を名乗ったとて、ディストを壊滅させた憎い暴君はすでに葬り去られている。誰が皇帝を名乗ろうと、どうだっていい。彼にとってはその程度の相手だったが、それでもフリオニールに付いていくことを選んだ。理由を問われてもこれだ、と言えるはっきりとしたものはない。こんな時勢で、故郷は失われたも同然だ。帝国に一矢報いたいという憎しみと、彼らが竜騎士団だとようやく飛竜を伴った訓練の参加が認められる年頃だというある種の懐かしさがある。フィリップは統率や部下への気配りに優れていたが、柔和な顔をした優男だった。兜を被った姿はともかく、素顔があれでは怒っても迫力がない。前団長がよく嘆いていた。
鏡の間に着くと、起きていた飛竜が一鳴きした。唯一の生き残りで、リチャードを再び竜騎士にした彼はこちらの指示には従うものの、それ以外ではやんちゃな面が目立つ。生まれた飛竜はしばらく母親に育てさせ、基準を満たす大きさに成長したら竜騎士と引き合わせ馴れさせるのがディストの慣例だった。この飛竜は生まれて間もないが、主人の言うことをよく聞くし、人間に積極的にじゃれつく。警戒心が薄いらしい。もう一度飛竜に乗ることを考えると、ペンダントを持つフリオニールも交えて訓練した方がいいだろう。カインはもう少し大きくなってからだ。
時間も状況も、のんびりとした訓練の時間を与えてくれるほどの余裕が失われているから、この夢想が形になる日が来るかどうかすら見通せないが。
「なあ、飛竜……こんな呼び方は嫌だろうか。お前の名を考えないとな」
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ディストは孤島だ。力のない母子二人だけでは飛竜がいなければ外に出ることも叶わない。何度かフリオニール一行が食料等を分けたり届けたりしていたそうだが、出ようとは思わなかったのだろうか。気になりエリナに問いかけると、
「カインのことを思うならフリオニールさんがここを訪ねたときにお願いしてどこか別のところへ移るのが良かったでしょうね。ここには子どもも大人もいないから。……でもあなたのことも心配だったのよ? 究極魔法を探しに出掛けたと思ったら、そんな顔で帰ってくるんですもの。おとぎ話みたいだわ」
晴れやかに笑う彼女に、実はリバイアサンの腹のなかで過ごしていたからその例えは当たらずとも遠からずだ、と真相を話したらどんな顔をするだろう。
フィリップが逝き、竜騎士団も飛竜もディストの誇りも何もかもを喪い、それでも残された飛竜の親子とカインを守り続けた日々は、リチャードには想像もできないものだ。彼女の行動の結果が竜巻への突入の成功だとしても、そのために彼女が犠牲にした日々は、再出発のきっかけをも奪っていったのではないか。艶が失われた髪と記憶よりずっと痩せた女性の姿に、悲しくなった。朗らかに、空に雲がかかっていてもそれを吹き飛ばしてからりと晴れた晴天にしてしまう、寝物語の太陽の女神のような女性は、どこへ消えてしまったんだ。
「そうだわリチャード、飛竜の名前はなんて言うのかしら」
「まだ決めてないんで飛竜、と呼んでいる」
「それはよくないわ! 飛竜だなんて……! 何かあるでしょう、ご先祖様とか、神様とか……」
ああ、エリナはこういう女性だった。人を飛竜を隔てなく愛し、慈しむ。だから竜騎士団の長の女に選ばれた。懐かしい苦い記憶が呼び起こされても、気にならなかった。愛した女性の素顔が、確かに残っているから。
「お前の息子に決めさせるか」
「あら、カインに?」
「俺では良い名が思い付かん」
飛竜の名は大抵フィリップが考えていた。どうしてこんなことまで。
西の空に、太陽が沈んでいく。
■■■
ディストの夜は冷える。飛空船の乗組員は計器の調整があるから、と船内に残り、マリアとガイは島国の外を知らない小さな子供にこれまでの事を話していた。美しい景色や美味しかった食べ物、優しい人々。話し声はほとんど少女のものだったが、カインが時々続きをせがむのが聞こえる。
フリオニールは、飛空船にいるだろうか。
「リチャード、どうしたんだ?」
目的の青年は、飛竜の前に胡座をかいていた。気配に気づいたか足音が聞こえたかして振り向いたのだろう。手にしたカンテラがぼんやりと青年を照らした。
「どうということはない。この辺は冷え込むから心配でな」
「俺は平気だよ、そろそろ戻ろうと思ってたし」
フリオニールは立ち上がると、早歩きでリチャードの側へ寄る。鎧も武器もないからその動作はとても静かで、落ち着いているように見えた。
「いよいよ明日なんだよな。飛竜は連れていくのか?」
「何が起こるか分からないからな。何処か調度良い山で待機させておこうと思っている」
「そうか。なら、なおさら俺も飛竜と話したかったんだがな。あいつの親とは会話したけど、あいつとは話していないし」
ああそうだ、彼は竜騎士団のペンダントを持っていた。リバイアサンの腹の中で、リチャードが唯一身分を証明できたものがペンダントで、その時に彼らも見覚えのあるそれを取り出した。フリオニール達も飛竜と話すことは出来るが、その機会を作っていなかったと思い至る。
「出発前に話させるか。マリアもガイも」
「そうだな。……このペンダントも、そろそろどうするか考えないと」
「お前が持っていても良いんだぞ」
「ずっと持ってるのはどうも後ろめたくて、持ち主のところに返そうと思ったんだけどさ、カインが欲しがってて……どうしようか決めかねてる」
「飛竜との会話がしたいなら、俺のを貸す。これならカインに渡せるか?」
ああ、それなら出発前に渡そうかな。ペンダントを握り込んだ彼は口にした。それから柔らかい布で丁寧にくるむ。自身の装飾品を仕舞うときにそうしているのをリチャードは知っていた。彼の仕草は、性格がよく現れていて好感が持てる。表情を動かしている印象が薄いから、行動がより印象付けられているのかもしれない。
彼は戦争から離れれば、ただの心優しい青年だった。
どうして彼が、と思わなくもない。マリアもガイも、戦争が無ければ穏やかな暮らしの中にいただろう。騎士をしていて時々パラメキア相手に小競り合いをしていた自分と彼らは違う、という思いがあった。フィンとパラメキアの戦争に巻き込まれた被害者にすぎない。反乱軍の拠点で何かしら仕事をもらい生活の糧を得るでもよかっただろう。……そうするには彼らは正義感が強かった。しかし、戦場に出なければ、知らなかったこともあるだろう。知りたくなかったことはずっと多いのではないか。
「――なあ、フリオニール」
数歩先を行く彼が振り返る。照明を持っていないから、その姿は闇に包まれて、一筋の光もさしこまない。そこにいるのは俺でいいだろう。お前はこっちに来い。まだ引き返せるはずだ。
反乱軍の中心を担う彼らが、特にリーダー格のフリオニールは、言い聞かせて引き下がる男ではない。短い付き合いの中でもそれは伝わったし、そういう性質でなければ、戦場に出ないだろう。それでも、確たる足場もないまま奪いながら失いながら傷つけ合いながら戦場を駆け回る彼らを俺は哀れむし、彼らの言うのばらの咲く平原で、陽の光を浴びながら笑うのを見たくなる。
「お前は、義兄を殺す覚悟はあるか」
「……覚悟なら、もうしてるさ」
琥珀色はまっすぐにリチャードを見据える。
「リチャードも見ただろう? ガテアやポフトの街がどうなったか。あの被害だけじゃない。バフクスで造られた大戦艦が街を焼いた。レオンハルトはその時からダークナイトとして――皇帝の腹心としてあんなことをしたんだろう。王女の誘拐にだって関わったはずだ。さすがに竜巻発生時は帝国にいたんだろうがな。そうでなければ、こんなに素早く行動を起こせるはずがない。
リチャード、俺はダークナイトを……レオンハルトを倒すよ。もう決めたことだ」
リチャードは何も口に出さなかった。彼の覚悟が、彼自信のものなら、もう好きにやらせるしかない。しかし、それが周囲に望まれた末の選択だったとしたら。
「……うしなわれたのは、全部あいつのせいってわけじゃないけど、それでも、俺は虐殺をしたあいつを許せない。あいつをそうさせたかもしれない皇帝も戦争も、犠牲になるのを防げなかった俺自身も許せないし、憎んでる。もう皇帝は死んだんだ。これ以上戦火を広げる必要が何処にあるっていうんだ!…………それに、スコット王子、ヨーゼフ、ミンウ、シド、反乱軍で世話になった人たち……皆、俺たちに期待してる。俺たちならやりとげてくれるだろうって。戦争を終わらせてくれるだろうって。俺はそれに答えるだけの力を持っているから、成し遂げないといけないんだ。彼らのためにも」
義士も竜騎士も、それからは何も言わなかった。
翌朝、飛空船に乗り込む前に告げられた一言は、一方的な決別だ。
「ガイはたぶん何があっても大丈夫だと思うからいいけれど、マリアは……レオンハルトと血の繋がりがあるし、レオンハルトに対してどう思ってるか正直わからないから。何かするようだったらリチャードが止めてくれ」
マリアが実の兄に手を掛けるのを、か。
自分を邪魔するのなら、か。
結論こそ明言されなかったが、彼は義妹の意思を切り捨てるつもりらしい。冷気でも発せられているのではと思えるほどの冷たい声で、フリオニールは口にした。