目まぐるしく過ぎていった日々に、突然の休息が訪れた。一週間。それだけあれば白魔法の基礎は覚えられるからとミンウに告げられ、二人でガテアの村への道のりを歩く。本当はヒルダ王女の命令に従ってパルムからポフトへ、さらに北上してサラマンドへ向かわなければいけないのに……。フリオニールはそう思ったが、年長者のミンウが行き先を変えたのならそれについて行くべきだ。フリオニールが白魔法を教わるように、マリアは黒魔法を、ガイは手斧を使う武術をそれぞれの師に習っているはずだ。レオンハルトが行方知れずの今二人が頼れるのは自分しかいない。
結局最初の一日はまだ日の高いうちに宿をとって、これ以上移動するつもりは無いらしい――フィンは占領されてなにもできないし故郷はすでに焼かれているから、向かう場所なんてどこにもないけれど。
怪我はもう平気か、反乱軍にいて困り事はなかったか、アルテアでは不自由なく過ごせていたか。そのような世間話から始まり、なかなか魔法の話にたどりつかない。故郷についての話になったとき、ミンウが地図を広げて切り出した。
「君たちの故郷はどのあたりか分かるかい?アルテアとガテアがだいたいこの辺りで、湖に囲まれているのがフィン城なんだが」
ミンウが指で示すとおりの位置に街や村が点在しているのだろう、説明には淀みがない。城下町まで到着するのにかかる時間や商人との取引に使う産物、山賊や盗賊が襲いに来るのか。ミンウの知識とフリオニールの記憶をすり合わせながら故郷を探す。
「ミンウ、あなたにこの様なことを尋ねるのは失礼にあたることかも知れないけれど、お尋ねしてよろしいでしょうか」
「うん、何でも聞いて構わないよ。それと、女王の前でなければ無理をして敬語も使わなくていいから」
「…………じゃあ聞きますけど。何でわざわざガテアまで。修行ならアルテアでも出来ただろう?」
「それはそうだが、君たちは故郷が気がかりではないかと思ってね。……兵士が立ち入って遺体は埋葬した、と聞いているけれど、葬儀まで執り行う余裕はなかっただろうから、私と君が司祭の代わりに、と思ったんだよ」
翌日、二人はかつて村があった場所にいた。村に着いたのは太陽が南の空に高く昇った時間だ。焼かれた家々や大きく抉られた地面、血を求めて徘徊する魔物――穏やかだった日々のすべての面影が、焼け焦げて灰や煤に。
かつて聖堂があった村の中心は、人々の生活の中心だった。赤ちゃんは司祭に祝福されて村の一員となった。会議はすべて近くに建っていた養父母の家で行われて方針が決定されたし、収穫祭や婚礼の儀式といった祭りはいつも人が集まり賑わっていた。死語の安らかな眠りと天上の国での幸せ、いつか果たされる転生を願った葬儀も聖堂が中心だった。今は何もない。ぽつんと火の手を免れた立派な建物が一軒建っている。それだけだ。
亡くなった人たちは、一ヶ所に埋葬されたとミンウが言っていた。帝国の襲撃をいち速く義兄から聞かされて、兄弟四人で村の外れまで逃れた俺たちだけが助かった。その事実は重くのしかかり、フリオニールの足を止めた。苦いものが喉にせり上がって来るのを無視できず、その場にうずくまってしまう。「フリオニール?」ミンウが気付き側に寄った。すまない、とか大丈夫です、とか言わなくてはならないのに、口を開けない。彼に迷惑を掛けてはいけないのに、村人達を弔わなくてはいけないのに。全身が震えて、力が抜けて、自分が何をしているかも分からない。そんな俺を正しい方向へと導く声が聞こえた。
「フリオニール。私の声がわかるかな」
一つ頷く。声のした方に目を向けると、ミンウがしゃがんで、背中を擦ってくれていることがわかる。
「立てそう?……うん、私の腕に捕まって。森の方まで歩くからね」
結局、葬儀は村の中ではなく入り口付近ですることにした。フリオニールの顔には少し血色が戻り、今は地べたに座らせている。
「ミンウ、ごめん。……まさか、あんなに村が酷い状況とは思ってなくて、誰か助けられたはずなのにとか、俺たちだけ助かったのどう思われてるんだろうとか、いろいろ、考えちゃって……」
「いいんだよ、フリオニール。祈るのに必要な場所というのは存在しない。君達だけが助かったのも、きっと君の故郷の人達は許してくれる。君は故郷を焼かれた、この悲しみを繰り返さないように、反乱軍に志願したんだろう?」
ミンウの言葉は、乾いた土に水をやるように、フリオニールにゆっくりと染み渡っていった。ミンウが言うなら、それを信じられると思った。
フリオニールは、そこで見ていなさい、といミンウの指示に従って黙って脇にいる。彼は水で辺りを清めたあと、火打ち石を使って火種を燃やし、松明に火を移した。白い装束が風になびいて、まるでミンウのいる空間だけ時間が止まっているかのような静けさに包まれる。
「フリオニール」
ミンウが呼びつけた。松明を持たされて、「君に祈ってもらいたい」と告げた。
「そんなことできない、俺は祈りのことばも司祭の使う文字も知らないんだ…………」
「大丈夫。彼らの眠りを願うのにことばは要らないよ。君の思いに正直に従うんだ。そうすればきっと彼らに届くから」
ミンウに励まされて、おずおずと受け取った松明を、落とさないように両手で握った。
俺の思い。理不尽に命を奪われたみんなが、安らかに眠れるように。いつか生まれ変わるなら、侵略の恐怖のない、人々が支えあって生きる戦争のない平和になった世界に……――
松明はまだ燃えている。煙をくゆらせるそれを地面に置いて、二人は村を後にした。西日が差して橙色に染まる世界を無言で歩く。村にたどり着いたときには、星空に変わっていた。宿は朝送り出されたときと変わらず、主人が出迎えて、数人の客と食事を摂り、少量の酒を酌み交わす。帰る場所がある、少し前までの自分なら考えられない体験だった。酒の入った薄ぼんやりした頭でフリオニールは思考に耽っていた。
部屋に戻ると、ミンウが口を開いた。
「君はこの村をどう思う?」
「どうって、そんな曖昧に聞かれても」
「質問の仕方を変えようか。……君たちの故郷は帝国の攻撃に遭い焼かれてしまったけれど、フィン以南のこの村やアルテアの街は残っている。この事をフリオニールはどう思っている?」
フリオニールは言葉に詰まる。一気に酔いが冷めたような心地だった。彼にとってこの村はフィン潜入、そして昨日から世話になった場所だし、いつ侵攻されるか知れない恐怖と、アルテアまで逃れた反乱軍という希望が隣り合わせなのに、反乱軍を、フィン奪還を信じる強さを持っていると思う。しかし、ミンウが知りたいのはこのような当たり障り無い綺麗な感情ではないだろう。黒い瞳は、全てを見透かすようにフリオニールに向けられている。
「正直、最初にここに来たときは、思ったよ。何で俺の故郷は帝国の奴らに滅茶苦茶にされて、みんな殺されたのに、ここは無事なんだろうって。…………でも、この村だって、無事だったけどフィンの落城を目の当たりにして、俺たちが助けられたみたいにここに身を寄せる他所の人達も居て、今は、分からない。帝国が攻めてこなければ、何もなかったのかな……」
ミンウは相槌を時々挟むだけで、フリオニールに好きに話をさせる。
「えっと、うまくまとまってないけど、今は、帝国に傷つけられた人達を助けるために、奪われたものを取り戻すために、俺は戦いたいんだと思う。だから反乱軍に志願したんだ。この村にいる人達も出来る限りの事をしたいし、反乱軍はフィンは取り返せるって信じてもらいたいんだ……」
「…………そうだね。話してくれてありがとう。――君がしっかりと実力をつけて、それと同時に人々に寄り添うことが出来るなら、君の願いは叶うよ。君は理不尽に奪われることの哀しみを知っているし、理不尽に立ち向かう勇気を備えている。それに、人々の苦しみを和らげたいという優しさも持っている。――君に白魔法を教えることを決めて良かった」
ミンウは柔らかな笑みを浮かべた。白魔導士の務めは苦しむ人々を助けることだ。彼は剣を持つ力と共に、胸に決して折れることの無い精神を宿している。これはアルテアで修行中のマリアとがイも同様に。
さて、明日からは忙しい。ミンウはフリオニールにもう寝るように促す。
「初歩的な白魔法から覚えてもらうよ。ケアルを使えるようになれば、他の魔法の仕組みも理解できるようになるから」
翌朝、まだ日も昇りきらぬうちに眼が覚めたフリオニールは、朝靄のなかで魔法の本を読み上げていた。きっと、ミンウのように魔法を使えるようになって見せる。その決意を胸に秘めて。