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 心地よい微睡みをぶち壊しにするけたたましい目覚まし音。ジリリ、ジリリと鳴り続けるそれを黙らせることが、フリオニールの毎朝の習慣だ。
 月曜日。普段なら仕事のことを考えて憂鬱になることの多い曜日だが、今日は別だ。久々の休み、しかも連休。これをさらに上回るほどの嬉しいことが山積みなのだ。数週間ぶりのデート。行き先不明。予定時間不明。クラウドがすべて考えるからと言って聞かないから、任せてしまっているが。

 フリオニールは身支度をして、エプロンをして台所に立つ。今日は彼の淹れたコーヒーを飲みたい。……だが、すぐに起きてくれるだろうか。彼はいつも惰眠を貪りたがるから、休みの日はいつも苦労させられる。今日は問題ないだろうが、布団を干したいときに限って布団に閉じ籠るのはやめてほしいと思うし同じ時間に起きられないのは何故だろう、と思う。そんな生活習慣の違いはすっかり日常に溶けて受け入れているけれど。
 もし起きないようなら叩き起こすことに決めて、フリオニールは電気ケトルのスイッチを入れた。
 パンケーキにベーコンエッグ。ポテトサラダに淹れたてのコーヒー。よし、朝食はこれにしよう。
 何を作るか決まったことだし、同居人をさっさと起こしてしまおうか。
「クラウド、起きてる?」



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 七時前に起こされたが、恋人の起こし方がいつになく優しくて、ああ起きなくてはと、自然にうかんだ。いつもはあと五分とか言ってごねるクセに。小さな声で突き付けられた抗議は聞こえないふりをする。
 毎日の生活リズムを整えたいフリオニールに対してクラウドは、どちらかと言うとだらだら過ごすタイプだった。フリオニールはそれに納得していないものの最大限譲歩して何もない日は正午までならなにも言わない。そんな彼に起こされるのはだいたい掃除機をかけるとか仕事で早く家を出るとかが大半だが、今日は違った。
「コーヒー淹れてくれないか?」
 体を小さく揺すられながら、聞かれた。その言葉はクラウドの体を起こさせ、二つ返事で了承したうえであまりにも呆気なくキッチンへ誘う。
 仕事中の電気ケトルに混ぜられていく生地。フリオニールは上機嫌で厚めにベーコンを切り分ける。今日はきっと良い日だ。一日中フリオニールと一緒にすごし、すべてを共有できる。クラウドは浮かれながらコーヒーを取り出した。



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 コーヒーと焼きたての朝食の美味しそうな匂いも幸せたっぷりの時間を終えると待ち受けるのは食器洗いだ。
洗剤の香りも清潔な印象がしてフリオニールは好んでいる。兄妹で協力して暮らしていたから家事を面倒だと思うことは数あれど、投げ出そうとまで思ったことは少ない。クラウドとの同居も、料理以外は分担して、忙しかったりするときにはお互い代わっているから、苦に感じたこともない。……もし負担を感じているなら、口に出してくれるだろうし。
 皿、揃いのマグカップ、カトラリー、フライパン。布巾で水気を取って元の場所にしまえばフリオニールの作業は終わるが、同時にすることもなくなってしまう。洗濯物はすでに畳まれているし、クラウドは風呂掃除中、稼働中の洗濯機はなかなか仕事が終わらない。アイロンかけは昨晩やってしまった。
 天気予報でも見よう。どこに行くか分からないから、近郊しか見なくても良いか。……今日は曇り時々晴れところにより雨という予報だったがこの地域は降水確率ゼロパーセント。今日はやはり良い日だ。


 しばらくして掃除を終えたクラウドが「先に着替えたら?」と言うのでそれに甘えて準備を済ませた。カバンにいれた折り畳み傘を取り出して、定期券はどうしよう、と疑問が生まれた。行き先くらい聞けば良かった。手に持って少し悩み、結局内ポケットに入れる。服もカバンの中身も前日までに準備していたから慌てるようなことはないけれど。財布、携帯電話、鍵、定期券、底には肌寒さを感じたときのための薄手のカーディガン。
 部屋着から着替えて洗面台へ移動。変なところはないか、皺になっているところはないかと細かいところまで確認していたから彼が笑っていることにも気付かなかった。俺は真剣なんだから、笑わないでくれ!



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 フリオニールは車で遠出することも考えていたのだろうか。今日は車を使わない、というと少し驚いた顔をする。
 ドライブが趣味で二人で遠くまで行くことはもちろん好きだが、今日は他に連れて行きたいところがあったから、久しぶりに地下鉄移動だ。フリオニールは職場まで電車で行くしクラウドは車通勤だから地下鉄は滅多に乗らない。
「クラウド、どこに行くか位教えてくれないか?」
「駅前方面。何をするかは着いてからのお楽しみだが、どこか行きたいところはあるか?午後から何をするかは決めていないんだ」
「それなら、ゲーセンがいい。クラウドの得意なやつあったよな?」
「……撤去されてなければな。良いのか?それだけで」
「時間は多いみたいだし、他の場所に行きたくなったらちゃんと言うよ」
 話していると時間が過ぎるのが早い。家を出てすぐに駅についたような感覚だ。まばらな人の行き来に混ざり、電車に乗る。

 フリオニールどんな反応をしてくれるだろう。笑ってくれたら、喜んでくれるなら、俺は満足だ。



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 クラウドに連れていってもらったのは駅ビルの中の映画館だった。ずっと前から見たいと話していた、有名な文学作品の映画化作品。光の勇者に選ばれた青年たちが世界に平和をもたらす物語。フリオニールは原作を何度も読み返していたけれど、クラウドは小学生の時にたぶん読んだ、程度の認識だったから、一人で見に行って、面白かったら一緒に見ようと思っていたが、逆に誘われてしまうとは。
 ラストの余韻を残したままグッズ販売コーナーでパンフレットやマスコットキャラクターのキーホルダー、加えて文庫版の原作も購入した。


 今はビル内のカフェに移動して、スムーズに案内された席にいる。ほぼ客席が埋まっいる中で生まれる話し声や足音といった程よい雑踏で満たされ居心地がいい。注文を済ませてしまえば、話題は数十分前まで辿った物語へと移る。映像が美しいとか、役者の演技が良かったとか。話の流れでクラウドがこぼした原作はどんな感じだった?という疑問にフリオニールは少しの間をおいて答えた。
「俺さ、敵はただの悪いやつだと思ってたんだよ。お姫様を拐って、世界を滅茶苦茶にしてるから」
「物語の悪役に対してそう思うのは自然だと思うが」
「そうかもしれないけどさ。昔と見方が変わったのかな」
 原作を改めて読んだらまた感じ方が変わるかもな、とフリオニールが言ったすぐウェイターが作りたての品々を運んできたため、会話は一時中断となった。



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 フリオニールの希望でゲーセンへと来た。クラウドが自分の行きたい場所を選んでないんじゃないか、と不満げに言われたがそんなことは無い。映画前売り券を用意して夕食は行きつけの場所を予約して、彼が望めば夜景の見える場所に連れていこうと考えていたが、そんなことは無いんだ。俺があんたと一緒に行きたい場所を選んだんだ。
 ……それをわかってもらえないから、こんなことを言わせるんだろう。

 二人で店内をぶらぶら歩き、何をするか話し合った。クレーンゲームは大きい景品が荷物になるから今日は除外。リズムゲームが多く揃うエリアは混雑中だった。どうする? とフリオニールに振ると、「じゃあ、クラウドの好きなやつがいい」と返される。二人協力プレイとか、対戦とか、そういうのではなくて、俺がプレイするのを見たい。とのこと。
「良かった、スノボゲームは空いてる」
「……フリオニールは、見てるだけでいいのか?」
 やり方やコツは何度か教えている。フリオニールはそういうのを一度掴めば上手にこなすから、これも楽しめるはずだ。
「うん。俺はクラウドのをここで見てる。ここからなら、冬になるまで待たなくても、滑ってるクラウドを見れるからさ」
 
 一瞬。クラウドの思考回路がショートするまでにかかった時間はわずかに一瞬。何を言っているんだおまえは! 俺に死ねというのか!!
 フリオニールの笑顔の破壊力をクラウドはなめていた。これはデートの誘いだろうか。きっとそうだ。そうに違いない。冬になったらスキー場に連れていこう。
 彼に鞄を預けながら、頭のなかは最難関コースの最適解を思い出す。こんなに期待されているのだから、答えないわけにはいかない。見ていてくれ、俺はハイスコアを叩き出して見せる!
 VR対応のヘッドギアを被ると、目の前が雪景色に変わった。


 フリオニールは小さな拍手とともにクラウドを迎えた。クラウドには、それがとても嬉しくてたまらない。




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 あれから休憩を挟みつつ協力プレイ出来るものを楽しんだ。……8割以上クラウドの手助けあってのものだった。ガンシューティングは向いていない。
 今は小腹を満たすため、ドーナッツ店内の飲食スペースで買ったものを食べている。甘さ控えめのシンプルなものからハチミツやチョコレートのかかった甘いものまで揃った店はフリオニールのお気に入りだった。実家の近所には無い店だから、たまに顔を出すときはここで数種類見繕う。連れていってくれたのはクラウドだったな。あの日は天気が荒れるかもしれない、という予報だったから、車を出してもらったっけ。
 少し甘めの思い出にひたっていると、クラウドから食べないのか、と声がかかる。フリオニールが疲れてしまったと考えたのか、声色や表情には心配が浮かんでいた。
「昔のこと思い出してたんだ」
 おうむ返しで昔のこと? と聞いてくるクラウドに
「あのときのクラウドかっこ良かったなって。お前がここを案内してくれたこととか、買い物終わったら家まで車運転してくれたし、裏道通ってすいすい車走らせるし」
 そう話していて、気が付いた。目の前の彼が照れていることに。格好いい、と言葉にしながら頭はかわいいな、という感情に染められる。年上の男相手にこんなことを思うのは変だろうか。
 今は手が塞がっているから見れないけれど、照れ隠しに腕を組み直したり手を遊ばせたりするとき、今のように視線を泳がせたり無言になってしまったり。そういうのを見ているだけで、心がふわりと浮いて、幸せいっぱいの場所へ飛んでいくんだ。



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 二人だと、時間の流れは曖昧だった。あっという間に過ぎていったり、ゆったりと流れていったり。変わらないはずの一分一秒が気まぐれを起こしたのか、俺たちが別の時間の流れにいるのか、ひょっとしたら取り残されたのだろうか? 二人きりの甘い世界に。
「…………クラウド、もしかして酔ってる?」
 クラウドの考えは途中から口に出ていたらしい。フリオニールは呆れながら軟骨の唐揚げをつまんでいる。
「フリオニールと二人で飲むのはよくあるけど、デートして、こういう雰囲気の店で、なんて久しぶりだから、舞い上がってるのかもな」
「それで酔ったっていうのか? あんた結構単純だよな」
「お前も飲めばわかる。さあ二杯目の緑茶を飲み干せ。酒に酔った姿を俺に見せろ」
「ワガママ言うな」

 家飲みだと二人とも一杯目からビールだが、他所だとフリオニールはいつもソフトドリンクから始まる。大量のつまみと自分用のパンがない状態で酒を胃に入れるのは嫌らしい。閑話休題、クラウドは恋人が酔っぱらって上気した頬の色や機嫌が良くなってひたすら名前を呼ばれる時間が好きだ。……彼は酒に強いわけではないから、気持ちよくなるより先に具合を悪くすることもあるけれど。

「クラウド、追加で頼むものある?」
 いつの間に食べ終えていたのか、フリオニールの軟骨唐揚げの皿は空いていた。ペンを手に注文用紙に色々と書き込んでいる。暫くメニューを見て、ベーコンとチーズの盛り合わせと鱈のフライ、と告げた。飲み物はビール? と聞かれたのにも肯定で返す。会社の飲み会でも、こんな風に気遣いながら過ごすのだろう。簡単に想像できる。

 注文を受けた店員が運んできたのは、ビールとレモンサワーだった。



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 電車に乗った帰り道。人通りの少ない道で、クラウドにじゃれるようにくっついた。周りに人が居たって、酔っ払い同士絡んでいるようにしか見えないんじゃないか。こんなあまっちょろい考えが、今夜は許されると思った。それだけ。クラウドは、わずかに顔をほころばせただけだった。なにも言わない。フリオニールは、なにも言えなくなってしまう。

 さすがに、ずっと離れないのは歩きにくい、と思い離れたが、いつも通りのことを我慢できなくて、手を繋ぐ、という暴挙に出た。映画館、上映前に重ねた。ゲーセン、カバンを預かるときに手が触れた。その二回で満足すればよかったのに。ワガママだ、俺はまだ手を離さずにいる。クラウドは握り返すだけで、これにもなにも言わない。
 それがなんだか寂しかった。


 マンションの前で、フリオニールは、郵便受けを見るから、と理由をつけて手を離した。クラウドは先に昇っていった。酔いはとっくに醒めている。何もない郵便受けを確認して、階段を昇る。玄関に入り、鍵をかける、直前、
「……! クラウ、ド?」
 後ろから、抱き締められる。そんな素振りしてなかった。雰囲気もたぶん、無かった。
 動けない。肘から下は自由なままなのに、まるで金縛りのようだ。
「フリオニール」
 名前を耳元で囁かれた。息がかかる、やめてくれ。どこかがふるり、と小さな期待に反応する。
「今日は、お前を離したくない。一緒に居たい」




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 フリオニールは、何も言わなかった。黙って内鍵を締め、拘束する腕に軽く触れた。
 たったそれだけだった。その瞬間にクラウドの腕はフリオニールをどうこうする力を失ってしまった。

「シャワー、先に使うぞ」
 これにはうんわかった、と返してくれたが、ただ同意してくれただけ。何も話していないも同然だ。

 ……クラウドは浴室の外から、自室にいる、と伝えようとして、結局やめた。家の中は広くない。どこにいるか位、直接言わなくてもすぐに知られる。それに、場所を告げるというのは「俺のところに来い」と命令しているような気がして、憚られた。
 自室に戻ったクラウドは手持ち無沙汰だ。ベッドに腰掛け、脇においやられた小さい収納棚の中身を確認するとやることは無くなってしまう。だからといってテレビのあるリビングに戻ろうとは思えなかった。スマートフォンでニュースサイトを何個か閲覧し時間を潰す。



 ベッドから離れたりシーツを整えたり、思い付く限りの方法で気を紛らわした。そろそろ来るだろうか。部屋に来てほしい。いや、来なくても構わない。正反対の思いがぶつかり合い、クラウドの中で一度粉々になった。
一つに再生しても、混ざりあった感情は一ヶ所に向かない。
「クラウド、起きてるんだろう?」
「…………ああ、起きてるよ」
 フリオニールは、ドアの向こう。
「なあクラウド、あんなことを言ったって事は、手を繋いだりしたのが嫌じゃなかったって事だよな? 俺は、クラウドと手を繋いだことも、離したくない、って言われたことも、とても嬉しかったよ」
 フリオニールは続ける。
「俺がすぐになにもしなかったからその気がないって思われても仕方ないと思うけど、クラウドになら、何されてもいいと思ってる。シャワー浴びさせてくれなくても、乱暴に脱がされても別にいい。本当に、そう思ってるんだ」
 どこか回りくどい言い回しに、何か思い当たるものがあった。ずっと前に大喧嘩になったときも、フリオニールはこんな風に話を引き延ばして怒りをなかなかぶつけてこなかった。今回のはたぶん、あのときほど怒ってはいないはずだ。こうなったら、気の済むまで吐き出させた方がいいだろう。
「……結局、お前は何を言いに来たんだ?」
「クラウドの馬鹿! ヘタレ! 朴念人!!」
 予想外の暴言に固まる。クラウドとしては、フリオニールの気持ちを考えて、来ない、というシンプルな逃げ道を作ったつもりでいたが、それがいけなかったのだろうか。フリオニールからの弾丸は、まだ尽きない。
「何も言わなかった俺だって悪いと思うけど! 鍵かけただけじゃないか! そのくらい拒否のうちに入らないって分かれよ!!」
 ここで思わず扉を開けた。悪いのは俺じゃないか。恋人の気持ちを理解せずにクールぶって無かったことにしようとしている俺が悪い!
「済まなかった」
 一言だけの謝罪でも、フリオニールはわずかに怒りを拡散させた。
「……仕切り直しさせてくれるか?」
「そういう事いちいち言うからカッコ悪くなるって本当に分かってる?」
 色々と口出ししながら、フリオニールはクラウドの部屋に足を踏み入れた。正面から抱き締めて、キスをして……。それから、それから。
 考えたって無駄だろう。クラウドは、ベッドにフリオニールの体を倒し、Tシャツの裾をまくり上げた。



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 聞こえるのは寝息と鳥の鳴き声。目覚ましのアラームが聞こえない朝というのはこんなにも穏やかだったのか。そう思いながら壁掛け時計を見る。午前6時前。身を寄せあって眠ったベッドは大人二人で使うには狭すぎるから早く抜けた方がいいだろう。…………でも、もう暫く二人きりの朝の静けさに浸っていてもいいよな、たまには。
 隣で眠る恋人の髪を手ぐしでとかしながら、彼もまた心地よいまどろみに誘われる。